日が暮れたばかりの宿の食堂。客も店も始まったばかりというように、あちらこちらのテーブルから注文が飛び交って、おいしい料理を乗せた皿がそれぞれの客の元へと運ばれていく。
 
「おいしそうな匂いがするッス!」
「ハハハ、耳としっぽが忙しそうなのだ」
「ワクワクニャンニャンッス!」

 隣の子ネコの頭を手でポフポフ触れる友人を見て、ミドはため息をついた。

「おーい、完全に二人の世界なフィールド展開するなー」

 見てるこっちがげんなりするわー、と諦めたようにテーブルに伏せるミドの横で、ナランハは無言である。ちょっとだけ向こう側に座る二人を見る目があきれ気味なのは、おそらく気のせいではあるまい。

 意味もなく兄貴分の大きい手のひらにちっちゃい両手をぽふぽふやっている子ネコを眺めているうちに料理がきた。別段普通の野菜炒めやスープ、パンという普通のラインナップなのだが、作り立てで湯気の立った料理群は食欲をそそる。
 食事を持ってきたウエイターの女性が、ニコニコ営業スマイルで丁寧な説明をした。

「うちの炒め物はちょっとだけ変わったところがありまして」
「ほう? どんなところが違うのだ?」

 アルジェンが律儀に聞いている間にも、アオイは取り分け取り分け忙しい。

「ええ、この近くでよく取れる木の実が入ってまして」
「何が入っているのだ」
「マタタビです」

 ──マタタビは全然ダメッスけど。アルジェンが前に交わした何気ない会話を反芻している時、ちょうど子ネコは、四人分の取り分けを終えて、野菜炒めをパクリと口にしているところだった。

「おい、アオイ──」
「ふにゃ〜?」

 隣の子ネコをかえりみれば、既にその顔赤ら顔。

「ニャッハッハッハッハ! ニャー、これおいしいッス!」

 パクパクパクっと、残りの野菜炒めを口にした。面倒になったのか顔を皿に伏せ、ネコ食いを始める。

「行儀が悪いのだ、それにお前、マタタビは──」
「にゃー、やーっ!」

 アオイは心配して止めようとするアルジェンから逃れるように飛び上がると、四足歩行で店内を走り、部屋の隅のタルに乗り、そこを助走台に、棚の上にぴょーん。食堂を高い場所から掌握した子ネコは、野生の血が騒いだのだろうか、

「にゃおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!」

 思い切りほえた。いったいにゃにごとかと、店内の他の客らが、百獣の王のごとく咆哮するネコを見上げている。

「ネコってほえるんだなー」

 のんきに言うミドをよそに、アルジェンは子ネコが占領する棚へ駆け寄った。その様子はハラハラソワソワと落ち着かなげである。普段聞き分けの良いアオイばかりを相手にしていたから、こんな風に振り回されるのに慣れていないのだ。

「そんなところに登ってはいけないのだ、危ないから降りて──」
「にゃーん! あにきだー! わーいわーい! あにきーいいいいいい!」

 望み通りに子ネコは降りた。兄貴分に向かってダイブする形で。アルジェンはそれでもなんとか小柄な身体を受け止めたが、なにぶんいきなりの事だったのでコケた。前方にふところのネコを下敷きにコケそうになるのを無理矢理踏ん張り、どうにか後ろに向かって背中から仰向けにすっ転ぶ事に成功。一周回って器用であった。

「あにきー、あにきー、あにきあにきあにきあにきあにきいいいいいいい」
「うお、こ、こらやめろ……」
「あにき、あにきあにきー」

 先ほど素早く逃げたくせに、アオイはアルジェンにベターっと抱きついて、その頰をペロペロ舐めた。

「鳴き声があにきになってやんの」
「ただの呼び声だろ」

 面白がって実況するミドをも無視して、ナランハはもう知らんとジョッキを傾けようとしたが、うおおお、誰か助けてくれえとアルジェンがうるさかったので仕方なしにアルジェンの方へ歩いていった。

「ぐおおお、頼む、アオイに触るのを特別に許可するから引きはがして欲しいのだ」
「いくら抱きつかれてるとはいえ、ガキ一人くらいいくらでも振り払えるだろ。そこまでへっぽこだったのかお前」
「可愛すぎて自分で拒絶できないのだ──ふぎゃ!」

 流石に色ボケ銀髪頭をグーで殴った。バカをおとなしくさせたところで、子ネコを引き剥がしにかかる。が、アルジェンから引き剥がされそうと見るや腕を回してひっついて、なかなか離せない。

「おとなしくしろガキ」
「やー、にゃー! あにきとボクの絆はにゃんびとたりとも引き裂けにゃいッス!」

 口調こそ乱暴だが、ナランハもナランハでアオイに甘い。無理やり引っぱって痛い思いをさせるのも気が進まず、実力行使に出られない。ぶん殴るような好意にネコの下敷きとなったアルジェンがぐおおおおと叫んでいる。

「……その兄貴が体勢を直せなくて困ってるだろうが。飼い主になつくのはいいが、時と場合を考えろ」
「にゃ!? あにきボクのせいで困ってる?」
「いろんな意味でな」

 説得方式で攻めると、根が素直な子ネコは素直にアルジェンから手を離した。ようやく起き上がれたアルジェンに、ナランハは腕の中の子ネコを突き返す。

「特別な許可をもらったが、あいにくガキはお前を所望らしいぞ」
「……今のはオレに落ち度があった。悪かったのだ」

 憎まれ口より数分前の自分に冷静になった気持ちが強いアルジェンは、子ネコを受け取ると、成り行きを見守っていた店の主人たちにも頭を下げた。

「騒ぎを起こしてすまなかった」
「いやいや謝罪するのはこっちですよ。ネコミミ族にマタタビがダメとは知らず。大変申し訳ない」

 旅人の宿となると、流れ者が騒ぎを起こすのにも慣れているのだろう。酷いのになれば酔って大乱闘を起こすことだってある。だから、棚の上で百獣の王の真似事をしただけのネコを責める者は、この場にはいなかった。勘定はいらないから早く休むといい、と言う店の主人たちに礼を言ったところで、抱きかかえられたアオイが話に割り込んだ。

「おはにゃし終わったッスか?」
「ああ、心配はいらんのだ」
「でもあにき三人に分裂してるから心配ッス」
「それはお前が酔ってるだけなのだ」
「えっへっへー、あにきが三人かあ、あにきが三人いたらね、一人には抱っこしてもらって、もう一人には頭なでなでしてもらうッス〜」
「一人余ってるのだ」
「うん、だからね、余ったあにきにはぁ……ヤキモチ妬いてもらう〜」

 アオイの宣言を聞いていたミドが、「ウエイターさーん! すみません、ブラックコーヒーくださーい、超苦くて濃いやつー」と叫んだ。全てがアホらしくなって席に戻ったナランハも、手つかずのビールジョッキを無視して同じものを頼んだ。元の喧騒に戻りつつある食堂で、アルジェンだけが可愛い可愛いご機嫌な子ネコを抱えたまま硬直し続けていた。





酔い方がゲーム1と違うのは多分悪酔いしたせい