朝起きたらオレがいた。黒い髪の毛がバサバサで、バンダナつけて、まあまあ筋肉あって、無精ひげ残ってて、相棒のマリー曰く「いやらしい」「知性がない」「アホくさい」らしいちょっとだらしない目つきのオレ。
 そのオレはいつもの剣を握るグローブのかわりにキッチンミトンつけて、スープ鍋なんか持ってる。

『おはようマリー。今日はオレが代わりに朝飯作ったんだ。食ってくれ』

 『オレ』はオレが見えてないみたいに、誰かに向かってにっこり笑った。ガキくさい笑い方。オレこんな笑い方すんのか。

「おい、」
「あんまこういうことしたことねーからお前がいつもやってんのパクって作ったんだ。うまくできたと思う」
「てめえ、なんか言えよ。てかオレのことパクってんのはお前だ」
「……んな大雪が降りそうな顔しなくてもいいだろ、ほら、座ってろよ今持ってくから」

 そういえば腹が減ってた。薄気味悪いっちゃあそうだが背に腹は代えられないから席について『オレ』が作った飯を食ってみる

「まっず!!!」

 一瞬でオレは噴飯バズーカと化した。ゲボゲボに甘い。

『うわ、塩と砂糖間違えた!! ……わ、悪い!! 食わなくていいから……って、笑うな!!』

 『オレ』に直撃したけどオレにぶつかった瞬間に食い物のカケラがどっかに吹っ飛んで消え失せる。
 なんだコレ気持ち悪っ!
 オレはたまらなくなって外に出た。

 外はもっと気色の悪い空間が広がっていた。
 昨日着いたばかりの、見覚えのある街並みに広がるのは一面のオレ、オレ、オレ、オレ、オレ、オレ、オレ、オレ、オレ、オレ、オレ、オレ、オレ……数えるのもバカらしくなる。
 
『この髪飾りキレーだな。お前似合うんじゃね? ……なんだよ、からかってなんかねーよ、ほんとだって』

 露天商の店の前にしゃがみこんで虚空に向かって笑うオレ。

『ここの屋台のまんじゅうはウメーな。いくらでもいけるぜ……なんだよハムスターって! こんな美男子捕まえて失礼な奴だな!』

 まんじゅうをパクつきながら自意識過剰な事を言うオレ。

『でっけー街だよなあ。オレはこの前のちっちゃい村くらいのが落ち着くけど』
 
 計算されつくした街並みを見ながら呆れたような、感心したようなオレ。

『お前もたまにはこういう綺麗なドレス着ればいいのに……確かに冒険には向かねえけどさ。別にオレが見たいってんじゃないんだからな!』

 ぐわーあああ、オレまみれでキメエ! まだコレが襲い掛かってくるとかなら手っ取り早いのに、試しに切っても感触も反応もガチガチに硬くて歯が立たないし、同じこと繰り返してるのがキメエ!!!
 密かに気にしてるややチビな事に関して耳元で悪口言ってもなんともなくて怖え。
 なんかの幻視系の魔法かと思ったけどこんな大規模の奴は少なくともオレは見たことがないし、仮に使えるやつがいたとしても極々まれなもんだと思う。
 こんな光景マリーがみたら十分くらいは鍛えた腹筋抱えて笑ってそうなもんだが。
 ……そうだ、マリーは!? あいつはどこへ行ったんだ?

 『オレ』しかいない薄気味悪い光景もあって、よけいに相棒が恋しくなる。
 街の外へ出る。
 海岸に添っていくと、また『オレ』を見つけた。

『海賊にやられた父さんの仇を討ちたい。討ったところで父さんが帰って来ないのなんてわかってるけど……オレに剣の扱い方を教えてくれ』

 まだまだ背が低くて、生意気そうで、ひょろっちくて、甘ったれそうな頃の『オレ』が、背の高い誰かに向かって偉そうに指南をねだっていた。
 無視して進む。
 
『ホントあんたが言った通りだ、仇討ちなんかしたところで父さんは帰って来ない……でもこれでオレの村も平和になるし、オレの気は晴れた。必要のない事なんかじゃない』

 血の付いた剣を持った『オレ』が、自分に言い聞かせるように言う。

『オレさ、あんたについて行きたい! こんなせまい村じゃなくて、もっと広い世界を見て、オレのした事って正しかったのか……あんたのそばで考えたい!』

 全くの考えなしで、大きな剣と荷物を背負った『オレ』が、誰かを見あげながら笑う。
 更に走っていくと、景色が夕焼けに包まれていく。
 そんな夕日の中でもはっきりと見える、赤が見えた。夕暮れの光のような、ぞっとする血のような赤を後ろに束ねた髪。

「マリー!」
『少年。その心意気は立派だが……それで死んだ者が帰って来るものではない。生兵法は大ケガを産むと言うだろう? 相手はひきょうで、海での悪さにかけちゃ右に出るもののない海賊だ。
ケガどころか命を落とすかもな……それでもよけりゃ、退屈しのぎに教えてやるよ』

 髪と同じ赤い目は、『オレ』と同じでオレを見ていなかった。ずっと昔のオレを見ていた。

『いい勉強になったな、少年。イフリードと言ったか。そうだ、仇討ちなんてもんは死んだやつのためなんかじゃない……生きてるもんが自己満足と気晴らしのためにやるもんさ。だが私はそれを否定しない』

 昔のオレよりずっとずっと遠い昔を見るように、マリーは夕日の瞳を優しく細めた。

『面白い奴だな、好きにしろ……ママにちゃんと別れの挨拶はしたんだろうな?』

 挑戦的な目つきの別の『マリー』が、『オレ』に手を差し伸べる。

『ハハハ、こんなトウガラシみたいな赤髪の大木にきれいな髪飾りは似合わないさ……本気で言ってんじゃないんだろ?』
『誰も取らないから慌てて食うんじゃない。ちょっと背がのびてもまだまだ少年だな』
『お前の故郷は小さくて、けれど景色が綺麗で、いい人ばかりだったものな』
『ゴリラの女装が見たいって顔に書いてあるが……お前も結構悪趣味だなあ』

 『オレ』と同じ、たくさんの数えきれない『マリー』が、誰かに向かって言葉を投げかけている。
 通りがかりに聞くものだけでもすべて、聞き覚えがあるものばかりだった。

『みんな死んだ。父さんも母さんも、弟も。あの野党達のせいだ』

 赤髪の小さな女の子が立っている。今度は聞き覚えのない言葉。

『だから殺した。力をつけて。お頭は特に念入りに、首を跳ねて』

 女の子のエプロンドレスが真っ赤に染まる。髪や目とそろいのおべべをつけて。

『わたしの気がスッと晴れた。家族は戻って来ない。それからわたしは一人。ひとりのわたし。ずっとひとり。でももうわたしはいらないの』

 真っ赤な衣装の女の子は、すっかり未練がなくなったように微笑んだ。その微笑みが不吉なものに見えて、オレは女の子の肩をつかむ。

「いらないなんてことないだろ! お前は生きてる! そうほいほい人生投げて! 残るやつの気持ちとか考えねえのかよ!」
『もうわたしはいらないの』

 相変わらず会話にならない。触った感触は『オレ』に触った時と同じくガチガチに硬かったのに、それがだんだんと透けていって、つかむことすら出来なくなった。

『だって──ここに』
「おいっ! まてって、マリー!!」

 胸に手を当てながら、安らかな顔をして──マリーは消えた。

「なんて顔してるんだ、お前」

 オレが絶望に浸っていると、背後から声がした。
 びしっと背筋が伸びた長身の身体は昼間の青空を縫って作ったようなドレスにつつまれていて、それがほどいた夕日色の髪と対を成している。
 色彩二つが派手で不思議と合わさっているものだから、金色の髪飾りも浮かず、心地よさそうに赤髪の中に収まっていた。
 まるで夕日の中に現れたせっかちな月のように。

「なんだ? ゴリラが女装したから驚いたか?」
「誰もんなこと言ってねえから! ……そりゃ驚いたのは事実だけどよ、そーいう意味じゃねえっつーか」
「知っているよ、すまない。こういうのに慣れないものだからどうも茶化してしまう」

 女王もといマリーは案外おしとやかにしゃがみ込むと、足元に生えている植物の花びらを撫でた。淡い桃色をしたそれは、よく見るとオレとマリーの周辺一帯にびっしり生えている。

「昨日の事は思い出せるか?」
「ん。シンガバ山から花を採取してくるって依頼を若い夫婦から受けたよな。ちょっと険しい山だったけど、特に道中も帰りも問題なかった。
依頼主のとこまではちょっと遠いから、途中の街で一泊した」
「ああ、イフリードの言う通りだ。当然花は寝台の横に荷物と一緒に置いといたわけだが──この花が問題でな」

 ズケズケ物を言うマリーにしては珍しく、一瞬言葉に間があいた。

「まあその……なんだ、同じ部屋に寝てる両想いの相手の意識を繋げてしまうものらしいんだ」
「ん?」
「元は周りがあきれるほど生涯仲睦まじかった魔法使い二人が品種改良したものが自生したもので、一方の心の中を相手に見せて、
その、『見て。私はあなたがこんなに大好きなのよ』と示すためのマジックアイテムのようなものというか。花を置いて一緒の部屋に寝るとこのような奇妙な空間に二人で行けるらしい。ここに生えてる花が直接心に語りかけて教えてくれた」
「はあ!? いやお前、いつもオレの事ガキ扱いしてたじゃねえかよ! 三つ年下だからって!」
「それはあの、ええとアレだ。照れ隠しというやつだ。理解してくれ」
「出来るか!! オレがどれだけ──」

 オレが文句を垂れようとしたところで、マリーはさっきの女の子と同じように、そのふくよかな胸に手を当てた。

「私の心の中、いつの間にかお前でいっぱいだ。お前こそどうしてくれるんだ、この気持ち」

 さっきの消えた女の子と同じ仕草で、マリーは幸せそうに微笑む。

「私はずっと一人だったのに、勝手についてきて、勝手に私の心に住み着いて。責任を取れ責任を」
「責任って具体的にどんなだ!?」
「それは──両想いなのだから、こ、恋人らしいこととか」

 頬まで赤くなったマリーはどれだけ赤くなるんだこいつって感じで、多分オレも同じ顔してるんだろうなと思った。
 恥ずかしい話だが、オレもこういう経験はさっぱりない。
 まあ、流石にこの場でどういうことをすればいいのかぐらいは健闘がつくが。
 
「言ったな!? じゃあホントにそれっぽいことするぞ!? するからな!?」
「あ、ああかまわん。マリーに二言はない」
「それを言うなら男に二言はないだろ、ったく」

 オレは真っ赤な顔で硬直するマリーに自分の唇を重ね──。
 られなかった! くっそ背高え! いやガキの頃のオレはそこがカッコいいと思って旅について行ったんだけどよ!
 締まらな過ぎだろ畜生! いいんだまだ十六だから背伸びるし! でも今はどうしようもねえ畜生!
 脂汗を描きながら必死に背伸びしているオレの顔に、マリーの顔が近づく。
 ガサツでデカい男らしいいつもの顔と全然違うオンナの顔に、オレは目を閉じる事さえ出来なかった。

「……カッコつけるなら身長は課題だな」
「うるせえ! 人が気にしてることを!」
「ゴリラを嫁にもらう男は大変だ」
「言っとくがオレは一回もお前の事ゴリラなんて言ったことないからな!」

 いつの間にか夕日が沈んで、花畑の遥か向こうの空、星が輝いている。
 瞬く星は見惚れる間もなく空に溶け、辺り一帯が明るくなって来た。
 もうすぐ朝がやってくる。
 夜眠る時に見れる世界だというのなら、多分朝目覚めた時、この気色悪い改めこっぱずかしい空間は消えてしまうのだろう。
 オレ×推定百人という不気味なあの光景も、タネがわかれば愛しいといえなくもないのだろうが──。
 こいつと一緒にいるオレは、一人で十分だしな。
 遠くにじむ、出来立ての恋人の色の朝焼けを見ながら、オレはまた余計な事を口にしてしまう。

「その服、オレが街で似合うんじゃねえか? って言った服と同じだよな」
「きっと似合うと言ってくれたのが嬉しかった。いつか式を挙げる時は、またイフリードが似合うと言ってくれる衣装を着たいものだ」

 いつの間にか繋いでいた手を握りながら、オレはもう恥ずかしさとかそんなのを全部無視して開き直って言ってやった。 

「なんでも似合うよ。なんてったってお前、空の女王様みたいだもんな」

 昼と夕方と夜の月を内包した大柄な身体は、お姫様なんてか弱いものじゃ収まらない、空の女王だ。