「それはどういう意味だい?」
「言葉通りの意味よ」

 アタシはソファに座って目の前の男を睨む。付き合い始めてかなり経つのだが、未だにコイツの笑顔を見たことがない。
 虚無のお面を被っているように、顔に変化がない。
 初めて会った合コンの時は何コイツって思った。
 こんなツラで恋愛小説家らしい、ってのにそういうのが好きなアタシが反応したのが先。
 先に興味持ったのはアタシの方。
 ガシガシ喰いついて話しかけてくるアタシに、ぬかに釘のれんに腕押しで受け流すコイツ。
 半ば意地になって連絡先交換して、お互いの家に上がり込むくらいの仲になったのもあっという間。
 押しが強かったことは否定しないが、それだけで恋人になるってこともあるまい。
 少なくとも家にあげて出してくれるコーヒーのミルクと砂糖の加減が、好みピッタリになっているくらいは好かれている……はずだ。

「笑ってみせてよ」

 要求はシンプル。高級レストランのディナーでも、有名ブランドの服でもない。
 一緒にいて楽しいのなら、顔で示してほしい。それだけ。

「俺は笑いたい時に笑って描きたいときに描く。そういう男なんだ」

 また虚無顔で言うものだから、アタシは面白くなくてすっかり拗ねた気分。
 プイッと顔をそむけて、ソファの端に寄ってひじ掛けに顔を伏せる。
 のしのし歩み寄るアイツの音がした。アイツの身体はデカい。
 岩でも削ったような体形は、恋愛小説とは無縁だ。

「顔には出ないかもしれないが、俺はお前の事好きだぞ。でなきゃ連絡先交換の時点で適当に断って終わりだ」

 なのに、髪を撫でる手はひなたで温められた土の温度で。
 タイピングで打ち込まれて出来た物語は、夜晴れの星のように静かで切ない。

「こっち向いてごらん、俺の愛しいハニー。もしかしたらお前の望む光景がそこにあるかもしれないぜ」

 ささやかれる言葉は、歯が浮くくらい恥ずかしくて──嬉しい。
 拗ねるのをやめて、コイツの胸に飛び込んだのなら、アタシのずっと見たかった顔が見れるのかも。
 からかってるだけで、いつも通りの虚無顔が砂漠のように広がっているのかも。
 シュレティンガーの彼氏。
 コイツの描く恋物語のように、先の予測が出来ない。
 だけど。顔を上げた時笑っていてもそうでなくても、アタシはコイツの事が好きなままなのだろう。
 会うために一生懸命セットした髪をぐしゃぐしゃ撫でてくるコイツにあきれながら、恋しながら、アタシは幸福な二通りの光景を想像し続けた。




 約千文字で三つのセリフを使って書く企画でした。
 お題「笑ってみせてよ」「こっち向いてごらん」「それはどういう意味だい?」