月に一回はカクヨムで短編小説を出したいと思っていたのに、なんか何度か試みてもボツり散らかして全然上手く行かず10月が終わりそう。
2024/10/30(水) 18:15 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
ちょいちょいカクヨムのウンコ我慢勇者のクソ小説にコメント来るのなんなの?しかも触発されて私よりガチのウンコ漏らし小説書いた猛者まで出たのなんなの?

私のせいで産まれちゃったというか漏れちゃったらしいウンコ恋愛小説リンク

ウンコ勇者よりかはもう少し面白いの書いてるはずだけど、アレが妙にコメント多いんだよな……。

「アレを公開する勇気がすごい」と言われたが、アレ、そもそももっと伝説級の「よく最終決戦なんて最大の見せ場をこんな展開で商業誌に載せてスベらなかったよな」って漫画の無意識パクだからな……魔法陣グルグルっていうんだけど。

まあ……私が真面目に書いた話って、遊びが少なすぎて、あんまコメントしたりとか、パッと見で読んでみるか、ってならないんだろうな……。実際読んでみるとそんな悪くないにしても。

カシバトルとかGガンダムみたいなシリアスな笑いが理想とすると、どうも力入った話はここの日記のような文章の勢いとか、気楽さが抜けてしまうような気は自分でもしている。なんかフツー。日記とかレビューのが、自分でも読み返していて文章が面白い。

気合入れた小説だと頑張って書きすぎちゃうのかな、あんまり良くない意味で……。私だってたまに見かける「私の人生の全てをこの作品に込めました」的な作品とか、「うわっ、悪い意味で重っ」ってひいちゃうしな。いや私はそんな御大層な事やってるつもりない(くだらん話ばっかだし)けど、変に肩に力は入っちゃってるのかも。だから全然時間かけてないような作品のがウケる。(底辺小説書きの範囲としては)

私の全てを込めた、みたいなの、なんか作品の入り口のコメント、謳い文句とかに置いとくのってちょっと野暮な気がするんだよな。構想〇年みたいなのも大体コケがちだしさ。というかそんなの、ヒット作とその作者だって胡坐かいてるわけじゃなくて、当たり前じゃないの?って思う。いや好きになって後から敬意を聞くとか、読んでいる感覚として、この作家の一つの集大成がコレなんだな……って自分なりに察するのはいいんだけどさ。

天才設定同様、なんかみんな最初に置いときたくなるけど、実はハードルが上がっちゃう奴じゃないかと思う。

【個人的最初に言っちゃうとハードル上がりやすいもの】
・ふわっと愛の物語(しかも装飾に魂の、とか大仰なものまでつく)(そこまで?ってなりやすい)
・ふわっと感動作(何に感動するのか?せめて友情物語とか青春物語とか具体性は出せないのか?)
・天才設定(身構えた読者の予想を描写力が上回らないと、普通よりバカにみえる)
・自分の全てを込めたとか。構想〇年とかそういう力入れました!的な、よく考えたら本編にはさっぱり関係がない裏話←new!
2024/10/30(水) 06:08 雑記 PERMALINK COM(0)
ボーボボが乗れる乗れないで勝手に一人で盛り上がってて思った事なのだが、私がレイモンド・チャンドラーにサッパリ乗れなかったのも、ボーボボ問題に似てるような気がする。

大いなる眠りしか読めてないから、もっと色々読んだらまた印象は変わるかもしれないんだけど……。レイモンドチャンドラーも、「男子がカッコイイと思うものの具現化そのもの」って感じがする。

大いなる眠りの主人公、フィリップ・マーロウって、多分男が憧れる男なんだろうね。捻くれていて、警察辞めて探偵してるけど、読者すらコイツの考えてることがよーわからん。美女に迫られるけど、絶対に手は出さない(アメリカの作品だからキスくらいはするけど)。けれどもその実、誰に理解されなくとも事件の追及をする、アウトローで渋い素敵なイケメン。そしてブラフの聴いた、口汚い台詞回し。

いかにも男の人が好きそうな(ド偏見)テンプレートじゃなかろうか。実際、翻訳者の村上春樹も、普段と後書きの雰囲気が違った。実際のところは知らんが、エッセイなどから見える村上春樹は基本落ち着いた男性って感じで、まあその語り口が私には落ち着くから好きなところがあるのだが、レイモンドチャンドラーを語る村上春樹は、ロボットや戦車、戦隊ヒーローを見て目をキラキラさせる男の子そのものだった。もちろん他のエッセイや、翻訳作品を語る時も楽しそうではあるのだけど、ちょっと空気が違った。と思う。女にはちょっとわからん世界というか。もちろんわかる人もいるんだろうけど。

春樹自体は普通に好きなんだけどねぇ……。衛藤先生の哲学心理学もそうだが、好きな作家の好きなものでも、なんかたまたま波長が合わない部分があるというよりは、性別による感覚の壁を感じる時があるな。まあこういう事って今のご時世にあんま言っちゃいけないのかもしれないし、私としても、個人的な感覚という以上の主張をする気はないラインだけど。

女にはわからんとか、男にゃわからんとか、そういう物言いって古いけど、やっぱどうしても別の生き物でもある壁ってどこかにあるとは思う。例え一切の偏見が消え去ったとしても、全くの感覚の壁がなくなるとは、個人的にはあまり思わないかな。小説家とか画家とかは、時代の壁に阻まれた人はいると思うけど、哲学者とかどうなんだろうな……昔から諸々の一切の壁がなかったとしても、女子であんまり大成する人が増えたとは、やっぱあんまり思えないんだよな……いや、確かめようがないけど。ああいう思いつめ方って、女の人はしないんじゃないかなって。ウェルテルも、今でいうダウナー、厨二病方向の男子のヒーローって感じするんだよな。時に死を招くほどの。
2024/10/30(水) 03:21 雑記 PERMALINK COM(0)
衛藤先生とか曽山先生とか渡辺道明先生とか、あの辺見るとギャグってよくわからない感覚的なものってだけでなく多分基本形が大事なんだな。とか思う。前振りがあって、オチがある。単純に絵が上手くて(見やすくて)、見せ場のギャグが絵面だけで笑える。など。

たとえば登場人物の横にバナナの皮があって、それを踏んで盛大にすっころぶことを期待する感覚とか、例が古典的過ぎて我ながらセンスがないが、そういう前振りがあってこそギャグという感じもするよね。

澤井先生はなんというか、感覚的なギャグ以外が本当にないというか……流石にあまりに不条理なギャグは初期だけで、その後はもう少し王道少年誌の型や長期連載らしい伏線とかもあったとは思うが、それでも勢い重視だった感あるし。そもそもこの人ってギャグとか、そうでなくても感覚的なもの、好きな漫画のパロディ以外描きたいものがあんまなかったのかもしれないな……。とすら思う。いや、良い悪いじゃなくて、それってやっぱその後が詰まるだろうなって……。感覚的な何かが描きたいだけだというなら、それはそれで、汚い長野まゆみや汚い村上春樹って感じに、その雰囲気作家感覚を一生モノに煮詰められたら多分違ったと思うんだが、おそらくその域に行けずに徐々に魔法が解けてしまったんだろうな。

画力問題で一蹴されていたらしいのに、ギャグだけで連載会議突破したらしいのは本当にすごいんだが、でもやっぱりそういう裏技的なもので突破しちゃった場合って後が厳しいんだなって。

いやボーボボ私は普通に好きだったけど、単体で見て絵がそこまで悪いとも当時思わなかったけど、他のギャグ作家と比べるとやっぱ絵柄とかそういうのじゃなくて、漫画が読みづらいなって。その後の読み切りとか特に、すごい読みづらい……。フロントライン・スピリッツとか、絵は可愛くなってるが本当に内容が頭に入って来ない……。多分ボーボボから既にちょっと読みづらい漫画だったんだろうけど、ギャグの勢いがあんまりすごいから、読めちゃったんだろうな。ボーボボ一話読み返したら、ネーム量とかギュウギュウのコマ割自体は別に元からだな。いやでも、ページ数の問題もあるんだろうなとは思うけど、これボーボボより読みづらいな……今読み返したら。多分やりたいのは、ビュティとへっぽこ丸みたいな美形男女をメインに持って来たボーボボのバトルなんだと思うけど。

某カピ氏が、ちょっと読んだ曽山先生とか、グルグルとかは気に入ってくれたのに、ボーボボだけ乗れなかった理由がちょっと読み返しただけでわかった……。元々「乗れなかったらそこまで」な人なんだな……昔は毎週楽しく読んでたけど。

曽山先生とか衛藤先生とか、ご本人が絵下手くそって自虐ってたの見た事もあるけど、やっぱ元から上手だよなぁ、って思う。小ネタは多いけどいらない情報はないというか、読みやすいよね、漫画が。
2024/10/30(水) 02:21 雑記 PERMALINK COM(0)
グルグル2、多分もう最終決戦的な感じで、巻数で言ったらあと3、4巻以内に終わりそうな気がするんだが、デビルククリとかズックニィとかの龍化状態のニケの挙動がそのまんまククリへの愛の解答的になってるのだとしたら、まあこの辺りで纏めておくのは無難なのかなーという気がした。いや、その読みが合ってるのかわからないけど……。

あとやっと衛藤先生の好きな作品をちゃんとスマホメモ帳にメモした。遅い。これでパッと図書館で探せる。

うーん、衛藤先生が少女漫画好きってのはまあ有名なお話だと思うんだけど、多分あの独特の繊細な心理描写って、ただ少女漫画が好きだから……ではなくて、心理学とか哲学が好きだった影響デカいよなぁ……。素人目にも、そういう影響はやっぱ見える。多分、暗喩が好きなのも心理学が好きだから、ってのはあるよな。だから、多分この人の作品を本当に理解したいなら、そこら辺の読書も必須なんだろうけど……。ニーチェもフロイトも私のオツムだとお手上げだったんだよな……。

まあ稲垣足穂の詩辺りが特に、食費削って友達に借金してまでハマったらしいから、ここら辺からでいいか……。

単純に、心理学や哲学以外の作品は肌に合うから読書歴もっと教えてくれはある。読んでみた感じ、間違いなくH・Gウェルズは影響受けてんな~(マジックショップとか緑の塀の扉辺りが特に)って思ったが、これもグルグルランド+には載ってなくて、ふとグルグル2のカバーコメントで語ってただけだし……。ブラッドベリの、登場人物の距離が近くて遠いような感覚も、多分かなりあのもどかしい部分を形成する重要パーツになってるよな……。挙げていた霧笛は特に、「読んだことない話なのにコレを知っている」ってなったやつ。

魔法陣グルグルの深く読むと難解な部分は、多分哲学とメルヘンが複雑に相互関係にあるってのもあるんだろうな……。で、コレにギャグや詩までぶっこんでくるので更に難解になってる。せめてギャグがなければもう少しマシなんだろうが。真面目に理解しようと思うと、楽しかったギャグが邪魔に感じて来る(どうしてもそっちに目が行ってかく乱されるので)

ギャグって結構読んでる時かく乱されちゃうよね。まあ衛藤先生とか渡辺道明先生とか、なんか知らねーが滑らない人ならそれもアリだが、高クオリティだろうとかく乱はされてしまうよな。実際ハーメルンは、「ギャグが入るので理解が難しい」と言われているのを見たし、グルグルはそもそも、深い意味が入っているなどと思わない人も多いだろう。
2024/10/30(水) 01:37 グルグル考察 PERMALINK COM(0)
他の知ってるギャグ漫画に比べても、ボーボボって本当に「絶対に滑らない、お調子者小学生男子のギャグ集」「そして、その感覚だけ」みたいな感じだよなあ。

衛藤先生のグルグル、曽山せんせーのでんぢゃらすじーさんにもそういう、小学生男子の意味不明さ、脈絡のなさを上手く描き起こした面白さで「感覚がヒットした」部分はあると個人的には思っているけれど、あの人らは元々ボーボボほど感覚に依存しすぎた感じはない。

でんぢゃらすじーさんもグルグルも、ギャグらしく脈絡がない時もあるかもしれないが。よく読むと割と笑いまでの道筋、文脈があって、見せ場の笑いに繋がる。という、後にストーリーものの文脈で唸る構成力の型が、割と初期作からあると思う。

衛藤先生の伝説のドラクエ四コマ、ふんどし!は、ドラクエの戦闘中の混乱の流れをギャグ風アレンジした文脈があった上で、ふんどし!になる。曽山先生が努力賞を取ったおやさい戦士ともゆきという漫画も、ダサい野菜の着ぐるみ変身が見せ場としてあるが、アレは野菜を大事にするのが正しい世界観からのヒーロー変身で、前置き、流れというものがある。

そんな感じで、普段何も考えずに笑っているギャグにも実は結構脈絡(らしきもの)はあるのだが、ボーボボってホントにそういうのがないよな。

ボーボボは本当になんか急に、主人公がキャベツになって、ナスになる。多少前置きもあった気がするが、衛藤先生や曽山先生と同じお野菜ギャグでも、前述二者に比べても、あまりにまともな文脈がなさすぎて、ついていけない。2メガネ!とか領収書ギャグもそう。割り箸を植えたりとかも。

衛藤先生の無印グルグル、曽山先生のわざぼーは、ギャグ調ながらどうやって強敵に打ち勝ったかって文脈にわかりやすく納得出来る構成になってるが、ボーボボはよーわからん。読んだのが昔すぎるのもあるが、覚えてない。ハジケリスト達がなんとかしてくれたとしか記憶にない。(っていうか今更だが、ハジケリストって何?いや多少作中で解説あったかもしれないが、何?)本当にほとんど「感覚的面白さ」に依存してる面白さ。

それでヒットしてしまったのはもちろんすごい事なのだが、とても持続し続けられるものじゃない感覚頼りになりすぎて、その後を作者本人が一番悩んでそうな感じがある。その後の作品をいくつかちょっと読んだこともあるが、なんかぎこちない。

衛藤先生のがじぇっと、曽山先生のわざぼーなんかは、世間的な売り上げや評価はさておき、ヒット作家の積み重ねた技術とか、知らない作風にすっごいワクワクしたけど、8周撃沈をリアタイで見送ったチャゲチャとか、ちょっと読んだふわりどんぱっちとか、読み切り2作とか、さっぱり内容が思い出せない。ここまで来ても、失われた感覚的にやっちゃってるような印象が正直ある。

多分、澤井先生はウケるウケないじゃなく、ボーボボが終わった時点で、チャゲチャではなくもっと全然違うもの、ボーボボの面影が一切ないものに一度は挑戦すべきだったのではなかろうか?

衛藤先生のがじぇっととか曽山先生のわざぼー・わざぐぅみたいな、ヒット作の面影を求める人達にはウケが悪くとも、作者やコアなファンは胸張って好き!面白い!って言えるような何かに。売れる売れないじゃない別の財産的なものに。続編とかスピンオフは、その後でも遅くなかったんじゃないかな?って。

ボーボボの芸風って、ギャグ漫画の中でも特に刹那的なもので、今から直接の続編とか(ふわりどんぱっちとかじゃなくてね、)も難しい産物なんだろうね。

今でも香水になったり舞台化したりグラブルコラボしたりすごい作品なんだとは思うけど、なんだろう。作者が一生の芸にするには多分厳しいやつなんだろうなって思った。良い悪いとかじゃなくてね。

実際、今となってはボーボボの最終話(仕切り直した真説の方)って、比較した2作の無印と比べても、ずいぶん寂しい別れになってる気がする。

グルグル無印もでんぢゃらすじーさんも、最終話は別れをテーマにした寂しさが存在しているが、本当にキッパリと昔からの仲間が別れちゃったのってボーボボ最終話だけだよね?

グルグルとでんじーは大切な相棒との別れではなかったし、後に続編もやってるけど、ボーボボの関連作は直接の続編ではないし、あの時の懐かしさよもう一度、的な感じじゃない。

最終話のビュティのセリフが当時寂しく響いたのは、結構な作者の本音がいい感じに出てたのかなあ。って、今になって思う。あの時既にもう作者がボーボボについていけるテンションじゃなくなってた。

ビュティとボーボボはグルグルのような恋や、でんじーのような仲の良い血縁家族でもない。だからあのラストは、ここではギャグ漫画ではなくバトル冒険漫画の終わりとして必然だったのかもしれないが……。今思うとグルグルやでんじーより寂しいラストかも。
2024/10/29(火) 08:19 雑記 PERMALINK COM(0)