なんかグラブルがとうとう異種族同士で子が望めないみたいな設定ハッキリ明言されたらしいが(でも以前と設定がブレてもいるらしい)、魔法陣グルグルとか魔王学校に俺だけ勇者とか、アホギャグに反してまぁまぁシナリオ背景というか異民族、異種族恋愛に関してシリアスなわけだが、あの辺のミグミグ族と光の者とか、魔王と勇者の間で結婚したら諸々どうなるのだろうか?別に子どもが作れんみたいな事は特にないし、親は歓迎みたいなムードだが……。
両者とも親が歓迎してるので過剰な弾圧まではなさそうなんだが、やっぱよく読むとそこにあるのは異種族問題とかゆるいロミジュリとかそういう空気だからなぁ……。
反発し合う感じの性質を子がどういう方向に受け継ぐのかとかちょっとそこら辺が気になるアレ。
魔王学校は「更生申請書」を互いのギルドに出せば魔王や勇者を辞められるみたいだが、性質まで消えるわけではないよな?とかそういうアレ。
しかし両者とも今読み返すと
思いっきりメインカップルの恋が反対されてる描写があるのになんで当時読んだ時気にならなかったの?って思うけど、
当の二人に異種族間葛藤とか全くないコメディだとここまでスルーしてしまうものなんだな……。
よーく見るとお互い「君が僕の(私の)光」みたいな構図になってるのに当時全く気付かなかったよね……。
女子側が光として勇者を好いてる件はわかりやすいんだが、勇者側がこんな状況下で勇者する理由も大切な女の子以外に理由がないっていうな。
魔王学校、
やってる事はつまり異種族恋愛とか敵対組織同士の恋が周囲に反対されるみたいなアレなんだが、周囲の反対理由が個人的な理由(横恋慕、経験値目当て、お父さんは許しませんよ!など)になってるの上手いな……と、当時気づかなかった事に気づく。
二作とも差別がない絵本みたいな世界としては絶対描かないけど、そこを突っ込んでシリアスにし過ぎない(かといってエッセンスとして存在しないわけでもない)、ってのがやっぱ上手いというか……。まあ重く描かないから軽視される部分も多分あるんだろうけど、何でもかんでも重くすりゃあいいってもんじゃない。
ここら辺シリアスにし過ぎた作品って正直全部同じに見える時あるというか……
まーとにかく私が子どもの頃はすごくそういうのが多くて、萌えるというよりおいおい、またかよ……感がすごかった。なんで
異種族、恋愛って最終的にぶっ殺して破局にする事が多かった(今も?)んだろうな、昔は……。異種族じゃなくて対立組織同士みたいな感じ(互いの家が仲悪い)だが、遥か昔のロミジュリからして悲恋なのがいけないのだろうか?
やるにしたって小泉八雲の雪女みたいな、生存・子を残した上での永遠の別離、みたいに書いた方が味わいがあろうに、なんか
破局の仕方すら雑つーか、ロミジュリみたいな印象的な殺し方も出来てない事が多いんだよな。
とにかくグルグルと魔王学校を恋物語として好きな理由が読み返すとわかる。この塩梅は誰もが出来る事じゃない。昔のガンガン系作家ってここら辺のシリアスとギャグ塩梅がすごく上手な気がする。
両者わざと重く描かないから必要以上に軽視されているような感じもするが、何でもかんでも重く描けばいいってもんじゃない。
プロ・趣味問わず素人クセェ!って思う作品ってそこなんだよな。無駄に重くて感動が押しつけがましいというか……鍵ゲーくらいやってくれたら好き嫌いはさておき素人くさい!とは思わんが。まあ
自分でも当てはまりそうだからこの辺でやめとくけど。
学生時代、文芸部で
「焼き肉さんの異種族恋愛って死なねーからいいよね」みたいなコメント貰ったのをふと思い出した。うん、
読者側の時嫌でしょうがなかったんだろうね、そういうのがね……。
統計取ったわけじゃなくてただの体感なんだけど、
グルグルっていうかガンガン系漫画の異種族もののどこかほのぼのした空気って、多分90年代くらいまでは結構珍しいやつで、
だから同年代の人も多分フワッと「異種族恋愛ってなんか知らんが最終的にぶっ殺されるな」みたいな前提がどっかにあって、それと比較して私の作品にそういう感想を抱いたんだろうな、って今はわかる。
この
雑な異種族恋愛処理現象なんだったんだろうなぁ、って思うけど、ロミジュリだの小泉八雲の雪女だの、それなりに理由付けやオチの悲劇までの構成の工夫がある作品のが多分古典からして珍しいんだろうね。
っていうか歴史上のそういう対立組織同士の恋も実際問答無用でぶっ殺されたり問答無用で引きはがされてそれっきりだったりで、ロミジュリみたいな流暢な事してる暇もなかったとか
あんまりな話がどこにでも当時転がってそうだな。いつもの憶測だが。
考えてみるとこの多分一番有名な雪女伝説も、日本に完全帰化した外国の人が書いた(っていうか元々あった伝説を纏めた?)奴ってのが何か結構面白い話かも。
どこまで小泉八雲さんの創作なのか、元からそういう話だったのを好んで編集したのかは知らんが、どっちにしても小泉八雲さんの雪女伝説が、他の雪女系伝説に比べてどこか希望や未来の余地があるラストなのはそういう帰化した人の視点だからかも、なんて。悲恋は悲恋なんだけどさ。
実際大昔の伝奇でこういう残るものがあるラストって多分珍しいよね。
他の雪女系伝説って善意で老夫婦に温められて溶けてそれっきり、とか散々な話だったりするし。それとも意外と成就あったりすんの?何の話だったか忘れたが、蛇の子無理矢理孕まされたから酒飲んで堕胎、とか他の伝奇って大抵そんな話ばっかだったような……。
この辺の堕胎だの溶けて消えるだのもなんらかの暗喩なんかな、とか考え出すと重すぎるので、このくらいにしとこうか。