E・Gコンバットが電子化してるのを最近知ったし、ずっと原作者が水面下で頑張ってて流石に近年キレてる事も今知った。当たり前だよなぁ!?(20年くらい凍結状態の企画)秋山先生が書ききれば即最終巻刊行らしいが、それが一番むずいんだよなぁ。お布施で一巻だけ買おうかな……。
秋山瑞人せんせーってデビューも特殊で、賞の締め切り破ってるのに編集の目に止まったんだっけ?純粋なすげぇと純粋な呆れが半々。
あの文章に互換性などない、って前提でもう他の人にプロット渡して書いてもらった方がいいんじゃないかなってちょっと思った。
秋山瑞人が好き、って言ってる作家大体外れないし影響も実際見えるけどやっぱりなんか違う。入江君人とか九岡望とか綾里けいしとか物草純平とかあの辺確かに上手い、全員好きなんだがやっぱり違う。文体のジャンルっていうか、「文体の自由さ」みたいな感覚は似てると思うんだけどな。文体じゃないが、キャラクターの頑なさも似てるとは思う。
絵だと絵柄そのものはある程度絵が上手い人ならパクれてしまう気がするが(というかそういう風にある程度絵柄を寄せる技術を要求される仕事も多いと思うが)、小説の文体をパクるってやっぱりなんか上手くいかない気がする。
そもそも原作が小説、或いはノベルゲームの文章だとして、メディアミックスの時に元の文章に寄せるみたいな話は他作者のノベライズ、スピンオフとかでも聞かないよな。あるのかもしれないが、私は聞いたことない。絵だとアニメ化だのコミカライズだので絵柄を寄せるは当たり前みたいに言われると思うんだけど。
まあ文章は一目でわかるもんじゃないし、あんまその辺重要視されないんだろうけど、その割になんらかの事情で他の作者が続きを、って話になると漫画とかよりデリケートな問題になってくる気がするのは、多分絵よりそういう代理仕事が難しいからなんだろうな。もちろん小説でも引継ぎ仕事みたいな話は聞かなくもないんだけど。
絵だとアニメーターとかコミカライズとか、ある程度元に寄せる仕事が仕事として確立してると思うんだが、文章はそもそも閉じたジャンル過ぎてそういう仕事があんまり確立されていない。みたいな。そういうものが文章仕事として確立されるような時代が来たらなんか違うのかも。多分そんな時代は一生来ないジャンルだと思うが……。
絵や漫画の上手い人達で集まったら、アニメ会社だの漫画製作スタジオだのが出来るけど、小説って仮にものすごい文豪が複数集まっても三本の矢とか文殊の知恵みたいにならねー気がするんだよな、一本一本が強力でも一生一本の矢っつーか。どこまでも個人プレー。一人メインで後はサポートに徹するみたいなのが難しい。エロゲ企画とかアニメの脚本とかで上手いライターや脚本家いっぱい集めたら面白くなるかっていうと多分そうでもない感じ。可能なら上手いメイン一人のがいいみたいな。いつもの主観だけどそんな感じ。