何億回考えてもやっぱり無印の最終決戦の「ナミダをふくことはできた」ってあまりにもセンスが美しすぎるな……。まあコレ、
別に諦めていなかった、というところまでがポイントなんだけど、なんかこの動作だけでニケの全てって感じもするんだよな……。ニケは別にそんなステータスの数値的に強いわけじゃない。でもククリを真っ先に慰めることが出来る。みたいな。
まあメチャクチャうんこ行きたいのここでも我慢してるって思ったらいつもの笑いになっちゃうんだが……。
正直
こんな風に涙を拭ってもらったら、あのまま一緒に死んじゃってもククリちゃんも悔いはなかったんじゃないだろうか?とかちょっと考えてしまうよな……。
ニケの適正職業が盗賊ってのでククリが全く幻滅しなかった、むしろ一緒に盗賊になるって言わせられるくらいイケメンなの、よく考えたら相当すごいな。なんかここでククリが幻滅したら終わりやん、みたいな感想見かけたけどそういえばそうなんだよな……。
コパールで盗賊修行の時、ククリに全く葛藤がない、それどころか盗賊修行を持ちかけるのはククリの方(原作では)っての、
ネコジタ谷でそういう葛藤は一瞬で終わってる、ってことなんだよな。
なんかこういうくだりって
シリアス作品のが糞くだらん事でグッダグダに悩んじゃってて、しかもそれをシリアスだと書き手が思い込んでる現象あったりするよな。
それは……ウゼェだけでシリアスじゃないと思いますね!っていうか多分、
盗賊修行ってラピュタの空賊に入るくだりの衛藤先生なりのアレンジ、パロディくさいよな。ククリが炊事係って点も含め……。
やっぱこの
、盗賊修行した後のアラハビカの流れって、まんま空賊入って天空の城へ突入するラピュタそのまんまだよな……。
ラピュタもどきが大体プロでも大失敗して終わりがちな事に気づいた今、
パロディっぽいのに上手い、相当注意して読まないと気づかないレベルにオリジナルになっているって方が「すげぇ……」ってなるやつ。衛藤先生、ラピュタ好き過ぎるよな。いや私も好きだけどさ……。ククリちゃんには赤毛のアンも入っているそうだが、やっぱり要素としてはシータのが強いよな……。ニケもアンの旦那のギルバートより絶対パズーだろってなるし。
夢見る女の子要素がアン、冒険要素と己のルーツをたどる旅の要素がシータって感じかな。
実は赤毛のアンが夢見る女の子してるのはシリーズ第1巻までで、それ以降はだいぶなりを潜めるんだけど、グルグルは夢を見続ける事が重要で、2もそういう、夢を見る子どものままでいいじゃない、みたいな要素があるのが衛藤流ファンタジーアレンジなんだろうな。っていうかアンが夢を見る女の子代表っての、原作読んでみると疑問を抱く部分がある。確かにアンは、大人になっても夢を見る事を全部やめるわけじゃないんだけどさ……。やっぱ2ククリちゃんが行った方向とは全然違うよね。アニメの世界名作劇場イメージがデカいんだろうな、やっぱ。
っていうか
初っ端、女の子が一番気にしてる事からかうような、ギルバートみたいな男ってあんま衛藤先生の好みじゃない気がするんよな。まあ赤毛のアンのこのくだりは、続編シリーズでだいぶ重要な意味合いがあったりするんだが……。なんの理由もなく女の子を助けて、初っ端で天使とか言い出すパズーのが絶対好みだと思うな。
ニケのククリの褒め言葉の最上級が一生天使であるようにな。まあ冒頭で言った通り、
涙を拭う事が出来てククリを天使だと本気で思っている事が、勇者の数値的な強さよりずっと重要な作品なんやろな。ニケがどうもその事の自覚がないっぽい(2の1巻で強くない事に葛藤する)の含めて美しいよな。2でもオババが、「ククリがグルグルをまた使えるのもニケの存在が大きい」って言ってたもんな。