グルグルのニケと2409回目の初恋の周くんが割とヒロインにキャラ性を依存した上であんなに魅力的なのは何故なのか?という事について考えてみた。とりあえず二人とも、周くんの初恋は別の人で、人を好きになるのは二回目、ニケはちょっとナンパというか女の子が元々好き、みたいな感じで女子慣れしてそうなアレはあるんだよな……。
ニケがククリ相手がホントに初恋なのかまではわからんが(運命の相手で、ホントに好きになったのはククリが初めてかな、とは思うけど)、周くんは何というか
恋に関しては人生二周目みたいなアレがあるんだな。
真実愛で2409回繰り返せば最初の恋より本気臭出るべみたいな発想好きよ(作中でそんな理由でやってるわけじゃないけど)2409回目の初恋ってタイトル、
多分周くんにかかったタイトルじゃなくて、アレは詩音ちゃんにかかったタイトルなんだよな。
周くんが恋するのは二回目で、彼が詩音ちゃん相手に初めて知るのは恋ではなく愛なので……。
まあなんというか、二人とも一人の女の子に命と人生かけるだけの理由はキャラ性や出会いの前の人生経験にあるのかな……。そこは多分奥行きとか説得力の一つだな。焼き肉のカスはド三流なのでそれを12年前書いたクソラノベで上手く出来なかったと。
っていうか……
二人とも一流作家でも二度はない、くらいの最高傑作級の男ってのもデカいんだろうけど。(それを言ったら身もふたもない)
あともう一つ。
2409回目の初恋とグルグルはダブル主人公構成に大成功してるというのもある。
初恋も明言はないが、アレはダブル主人公構成だよな。
最初は詩音ちゃん視点、次に周くん視点。それが終盤になって繋がって、二人で作る愛になる。的な……。元ネタの銀河鉄道の夜の主人公はジョバンニ単体で、あの結末を避けるためにどうすれば良かったのか、という答えは周くん自身が語っていた言葉に集約されるが、
ダブル主人公とする構成がまた、「二人、どこまでも共に行くことが出来れば別れなくて済んだ」という結論の説得力になっているように思う。
まあとっても難しい事してることがよくわかりましたね(急に小学生並の感想になる)。
恋は二人でするもので、愛は二人で作るもの。なんだけど創作で実行しようとするとこれほどシンプルでこれほどクッソムズいものもないと思うんだよな。プロ作家が描いても納得いかない事なんて多々あるし。当然ながら私もメチャクチャ失敗しまくってるしな。
というか
初恋もグルグルも二人で愛を作って最大の苦難を乗り越えようって話なんだな(恋するハートで魔王を倒す、二人どこまでも行ける想いでループを超える)