グルグルのイエタ村で出て来るかみさまのふねが、死を連想させる的な話を見かけた。衛藤先生の好きな作家、H・G・ウェルズの短編「塀についた扉」を読んでたら、確かにそうかもなあ、と自分の中でも腑に落ちた気がするので、いつものように与太話駄文を書いてみる。
【出典 スクウェア・エニックス/衛藤ヒロユキ/魔法陣グルグル 8巻 69章 かみさまのふね】実際イエタ村の該当箇所読み返したら、直球で「それに乗れば天国に行くことができるという」って言ってるやん……ニケの返答もコメディチックだが普通に死の解答やん。毎度毎度、なんでこんなの読み流してしまうんだろ、この漫画……。
「ああいう夢見がちな女の子はふっとかみさまのふねに乗ってしまう、あの子が大事なら気をつけることじゃな」このおばあちゃんのセリフも読み返すと結構怖いな。
【出典 スクウェア・エニックス/衛藤ヒロユキ/魔法陣グルグル 8巻 69章 かみさまのふね】ああ、ニケがすごい慌ててククリのところに走ってやってきて、船がただのレイドの発明品でホッとしてたのって、
つまり、ククリが死んじゃうと思ったからか。実際コパール王国編でも、ククリちゃんは魔界を覗いたりしてるしな。わざとそうしてるのはわかるんだが、やっぱグルグルってわかりにくいなー。こんなもんサラッと描いてるこの漫画が最近恐ろしく感じる。
でも
闇のお姉さんも、イエタ村のおばあちゃんも、「テキトーにあいさつしておけばいい」「大事なのはそれを見てあわてるのではなく、笑って手をふること」って言ってるんだよね。
確かにウェルズの「塀のついた扉」の男には、そういう余裕はなかった感じがあるな。いつでも現世に忙しくて、心の中で塀の向こうに憧れ続けていた感じ。
おばあちゃんの言う通り、「かみさまのふね(グルグル本編でも結構ハッキリ示唆されるように、ここでは死)はいつでも頭の上に浮かんでいる」んだよね。だからっていつもそんな事意識して怯えていたらやってられんわな。「塀のついた扉」のライオネルが最後の一線を超えてしまったのには、相応の理由があるんだねえ……。
そんな感じで心構えの問題もあるけど、もう一つ。
あなたに死んでほしくない、行ってほしくないと引き止めてくれる人がいるかどうかも分岐点かな。
ククリちゃんには、ククリを大事に想うニケがいて、塀についた扉のライオネルにはこれといって現世に引き留める人がいなかった。語り手の私、レドモンドは友達だったけど、この2作に題材が似ている栗本薫の「時の石」のブロマンス的友人(っていうか多分作者の中ではBLの攻)ほど、現世に引き留める強烈な関係ではなかった。
死に向かう扉に向かって、適当にあいさつしたり笑って手を振る余裕もなければ、これといった未練や引き留める人間もいなかったライオネルが、扉の向こう、つまり死の世界へ行ってしまったのは必然と言える。グルグルのかみさまのふねは、結局レイドの変な発明で天国へ連れて行く船ではなかったけれど、コパールの魔界案内やアラハビカで眠り姫になった事など、
夢を見る事が職業といった感じのグルグル使いククリちゃんは、常にかみさまのふね(異世界とか死の世界とか)的なものに引っ張られる危険があると言える。
そんな時、現世の錨としてククリちゃんを引き留める事が出来るのが、ククリちゃんより冷静な目を持っていて、ククリちゃんが愛し愛されているニケなわけだな。
かつて闇魔法結社の総裁が、ニケが光の者と知るなり殺してしまえと言ったが。
多分、時に一緒に楽しんでしまい、かつ引きずられないニケくらいの光がそばにいないと、ククリちゃんはある日突然、闇や夢の中に入って行って二度と戻って来ないと思う。