私ががじぇっとで好きなのは赤峰由紀ちゃんである。主人公のシュウ君がヒロインのタレちゃんに告白する前に告白してくる委員長ちゃんである。

結局彼女はシュウ君にフラれてしまうわけだが、今回読み返して、彼女にはファーストインパクト以外にも重要な意味があるなあと思ったのでメモをしておく。

彼女は、がじぇっとを必要としなかった女の子なわけだな。

タイトルにもある「がじぇっと」というのは、一口に言ってしまえば、小さな女の子が大事にしているぬいぐるみの発展型みたいな、不思議な機械。これが持ち主の女の子の持つ闇や悩み事と深く繋がると、本編でも描写されるような大ごとになってしまったりする。

でも由紀ちゃんは、そうはならなかった。失恋の際、残酷な歌の歌詞を気持ちが落ち着くまで聴けないようにする配慮や、ペンケースの図柄のネコの励ましは必要だったが、それは補助輪のようなもので、新学期が始まる頃には、失恋を昇華出来ている。

最終話、「未完成な部分をキカイに頼って何が悪い?」というセリフが出るように、がじぇっとの保持者はみんな未完成、未熟な子どもである。その足りないパーツを補うため、本作の機械、がじぇっとは存在する。

由紀ちゃんが読者私に対してファーストインパクトを残しつつも、本編に深く関わってこないのは、彼女は一足先に物語から、子供時代から抜け出したキャラクターという事なのだろう。

がじぇっとは終盤になるとかなり群像劇的になり、尺の問題も相まって一周目だと上手く咀嚼しきれなかったが、周回して、この作品の主役はタレちゃんとシュウ君だけでなく、「子ども達全員」なんだと思った。だから終盤は群像劇だし、由紀ちゃんは深く本筋に関わってこない。

子どもの才能を極めたがじぇっと保持者達のボス、ガルガリンとちょうど対極の場所に立っているのが赤峰由紀ちゃんというキャラクターなのだろう。

主役が子ども達だから、赤峰由紀ちゃんは「素敵な脇役」だし、スイッチを押し終わって前より大人になった、つまり主人公でなくなったシュウ君は、大切な女の子の隣で、次のスイッチを押す誰かに想いを馳せる。

ジュブナイル作家の側面もある(と思う)衛藤ヒロユキ先生の生み出した、思春期SFの良作だと思う。
2024/10/11(金) 08:00 作品感想 PERMALINK COM(0)