うーん、大いなる眠り、半分まで読んだが今のところ面白くないな……。登場人物が全然覚えられない、苦手なタイプのミステリー?っぽい。村上春樹は翻訳も著作も好きだから、これは多分レイモンドチャンドラーがちょっと合わないのかな……。作家の初長編作かつ100年も前の作品だからしょうがないんだろうけど。同じレイモンドで村上春樹と親しかった、カーヴァ―の方は素敵だと思ったんだけどな。
ところで私、創作者は大抵さんとか先生とかつけるのに(文脈によっては敬称略するけど)、何故か昔から村上春樹だけフルネーム呼び捨てなんだけどなんでだろう。いや嫌いどころか著作かなり読んでる方なんだけど……。村上だと龍の方と間違えそうだし、春樹だと角川春樹になっちゃうから? 村上春樹さん、だと長いし。
好きなんだけど、何故か好きな作家でいつも何故か毎回パッと浮かんでこない作家でもある。著作読破達成率も、他の作家と比べて高いんだけどな。ここ数年のエッセイと著作以外は多分大体読んだんじゃないかな? なのにいつも、ナチュラルに脳が省いてくる。不思議な作家。
村上春樹が作家として、なんか過ぎ去っていくものやなんか消えていくものを書き続けているうちに、本人もふんわりと残らない何かに変質してしまったのかもしれないな。あの人の作品でわかりやすく感動したことって全然ないし。でも別に見くだしてるわけでもないんだよな。かといって作家として憧れるか?敬意みたいなもんがあるか?って言われると口を閉じてしまうけど。
考えてみると村上春樹を読んで反射的に「素敵!」とか「こんなお話を書けたらいいのに」とか、心を震わせる一文があったりとかって一度もないかもしれない。ただなんとなく読めるし、なんとなく雰囲気が好きなだけ。「国境の南、太陽の西」の主人公の性癖に関しては、こんなような性癖だか相性は実際にあるんじゃねぇかな?って最近なんとなく思うようになったけど。何を呼んでも糠に釘みたいな作家だけど、これだけは世界のある本質を突いているんじゃないかな?という気がする。学生時代の同級生も、コレが一番好きって言ってて、当時はよくわからなかったけど、私と同じ感慨を受けたかというと違うと思うんだけど、今になってお気に入りだって言った感覚がわかった気がする。
マジでなんなんだろうねコレ。好きは好きなんだが、衛藤センセーイ♡みたいなああいうノリじゃない。私は作家と作品をイマイチ切り離して考えられないので、ご本人の人柄も含めて普通に好きだとは思うんだが。
冒頭のように、外国人作家だとあんまさんづけしない気がするし(ヘミングウェイとかシェイクスピアとかトルストイとかウェルズとか、なんでもいいが、古典的な作家だと特に、気分にもよるがあんま敬称つけない事が多いかも)、そういう感覚の延長線上にある?
カーワイイ♡とか素敵ぃ♡みたいな感じじゃないのかな。狙ってそうしてる作家だから当たり前だけど、文章も作風も恋愛要素も全部平坦的だしな。なんか感覚でキュン♡って来ないのかも。良くも悪くも遠い惑星の砂漠みたいに、なにもかもが遠くて乾いている。素敵って言うのも、遠くの夜景を眺めているような感じで、手に取れるような感覚じゃないから、私がよく作家や作品に対してやりがちな、アイドルへの応援的キャー♡が出て来ない。
というか平坦を好み、愛して、ものすごい気づかいと推敲でもってよくわからない平坦を描き続けているというそのやり口自体がなんというか、カテゴリーエラー過ぎて情報処理が出来んのかもしれん。衛藤ヒロユキ先生がもっとドライで小説書きの道に行っていたら、なんかこんな感じの作家になってそうなんだよな。グルグル2を読む感覚は村上春樹に少し似てる。全然違うんだけど、もっとわかりやすいトキメキはあるんだけど、なんとなく私の中で。
私はかつて村上春樹の卒論で「なんで好きかわかんない、この謎は一生解けないのかもしれない」と書いた。あれからだいぶ時が経っても、何で好きか?って言われるとやっぱりよくわからない。
まあ夜景を眺めて綺麗だと思う事も、テレビの中の俳優やドラマのワンシーンにキャー♡とときめくような感覚も、別にどちらも素敵な事なんだから、そこまで気にする事じゃないのかもしれん。きっと私はこれから先も、村上春樹をさんづけではあんま呼ばない。