意固地になって全部読んだが……
いやぁ苦痛だった!最後まで読めば流石に意図はわかるが、とにかくレイモンドチャンドラーの文体が合わな過ぎた。旧翻訳は、古いブラフ的言い回しや表現は、翻訳者も意味がわからないほどの死語的表現なせいか色々省略されていたそうなのだが、村上春樹はそこを敢えて可能な限り再現していたのが、今回に限っては致命傷だったかも……。普段は村上春樹の、元の有名な翻訳に囚われすぎない、原文に忠実で丁寧な翻訳好きなんだけどね。
翻訳者の村上春樹は構成や理由付けに難がある、って言ったけど、どっちかというと私は構成の方が面白いと思ったかな……。ただ、人物描写があまりにひねくれているせいで、こういうキャラだと掴んだり好感を持つことが私には困難で、そのせいで全然名前覚えられなくて、結果大まかにでも全容を掴むのにすっげぇ苦労した……。
構成の部分だけに着目すると、人間関係がおホモだち(作品の空気に合わせて、敢えてこういう言い方を採用する)や男女の痴情のもつれ?とか複雑に絡み合って、そこから見えて来る真相は、読んでしまえばありがちといえばそうかもしれないが、良くも悪くも私は読めない展開だったし、面白くはあった。タイトル回収の仕方もセンスは感じる。
ただ、純粋に大筋や構成を追うタイプの、構造重視ミステリーとして読むには、文章がくどっちすぎて(特にこの作品は長編初期作で、絶賛している村上春樹も表現の空回り具合や荒っぽさに苦言を多少漏らすほど)、正直そこがネック過ぎてキツかった。
まあ……好きな人はすごい好きなのはわかる。村上春樹の、短編をプロトタイプに、そっから長編に膨らませるという作品作りの仕方も、レイモンドチャンドラーがやってた手法を取り入れたっぽいな、って訳者後書きを見て知って興味深かったし。実際村上春樹の初期の方の長編は、多分チャンドラーのエッセンスが色々込められているんじゃないかな?と思った。
ただ、チャンドラーの感性を褒めていて感銘を受けた割には、そこに村上春樹エッセンスは全然感じられなかったかな……。絶望的なほど感性が合わんかったし。パッと見は同じ、スカしててチャラくて皮肉っぽくて、一見似てるけど全然違うと思った。翻訳者が村上春樹だから、当然文体も村上春樹なんだけど、全然合わないという稀有な体験をしてしまった。
ちょっと村上春樹が三大愛読書として挙げていたロング・グッドバイまで付き合える気が、少なくとも今はしないから、不完全な下調べからの、個人的な感覚になるけど……。
村上春樹の感性に近いのは他の二冊、カラマーゾフの兄弟とグレート・ギャツビーの方だと思った。感性をこの二作(を描いた作者)、小説の起こし方をチャンドラーから心の師匠として学んで、あの独特の春樹流が出来たのかな。と一応一通り春樹の好きな作家を読んで、個人的に頭の中でつながった感覚は面白かった。ちょっとチャンドラーにまた付き合える気がしなくて、こういう感覚を自分の中で完全にするのが難しそうなのが、我ながら残念だけど。もちろん他の色んな作家にも影響は受けてるんだろうけどね。
うーん、いつかはロング・グッドバイに挑みたいとは思うが……ちょっとチャンドラーとは合わない気配があるんだよな。せめて短編から試せば良かったのかな……。
しかし個人的には古クセェな、って思ったチャンドラーの方を村上春樹は「色褪せぬ名作」的に大絶賛してて、ヘミングウェイはどっかの後書きで(グレート・ギャツビー後書きだったかな)今読むと古い扱いだったのはちょっと意外かな。私は村上春樹の好ましい部分(救いがないが、どこか優しい気もする感性の部分)はチャンドラーよりはヘミングウェイのが近い感じするんだけどな。
多分村上春樹は、小説書く時どことなく優しすぎて真摯過ぎて、表現の上でチャンドラーみたいにはっちゃけられないんだな。多分、だからこそ近い感性の作家よりチャンドラーに憧れがあるんだろうけど。いや酷い表現や皮肉っぽい描写自体は村上春樹にもあるんだけどね。チャンドラーほどはっちゃけたり悪ふざけが過ぎるような感じはしない。
ほとんど村上春樹の話になっちゃった。いや、そのくらいチャンドラー本人の部分に感じ入る者はほとんどなかった、私にとっては。感性が全く合わない。後半ほとんどしかめっ面で読んだほどに。