声優とか作家とか、ファンが熱をあげて恋愛感情に発展してしまう話ってよく聞くけど、なんかアレっていい悪い以前にそもそも上手く行く道が見えんことが多い気がする。結局「先生」とか「声帯」「演じたキャラ」としてしか見てねえっつーか。
村上春樹と村上龍が昔対談で「奥さん全然俺らの作品興味ねえww」って感じに笑い話にしてたの見て、昔はええーってなったが、むしろそっちのが本人を見てこうなってるってことで良いのかもなあ。
吾妻ひでおの奥さんもファンだったけど、そういえばも彼女だけは自分を先生扱いしなかったな、って吾妻さんインタビューでポロッと漏らしてたと思うが、やっぱり本人を見てるかどうかって大事なんだろうな。
とか雑魚のオタクがネットの片隅のブログでほざいても、作家の先生の部分や演じたキャラとの混同する人っていなくなる事はないんだろうし、「そんな事理解した上で理性的に動けたら苦労はしない」案件なんだろうが。
自分がそうだからよーくわかるけど、2次元どっぷりオタクって、視野が狭くて自分本位で精神年齢幼くて、人生経験少ない生き物だからな。自分も声優とかアイドルとかユーチューバーとかまあなんでもいいが、2.5次元含めた3次元に強く入れ込むタイプだったら、なんかやらかしてそうだし。
モヨコ&庵野とかも作品のファンでもあるんだろうけど、モヨコさんは同じくヒット作家だしファンが作家とかと結ばれて上手くいった例とはちょっと違う気がする。
何が言いたいかというと、ファンってのは対象と恋愛する場合はむしろ色眼鏡っていうバッドステートなんじゃねえかなって。まともな人は自分を作家とか声優とか俳優とか、まあなんでもいいけど輝かしい功績越しに見てくる人を魅力的に感じないし、そっから健全に発展したとしても理想と現実で破綻しそう。
そして相手がこっちに向かって笑ったり手を降ったりするだけでポーッとなっちゃうような状態は、悪い人はそりゃ惚れられてる弱みにつけ込むよねって。
どっかの漫画でも憧れは理解から最も遠い感情とか言ってたじゃん。