ガキ大将のいじめっ子に小突かれて、ロメオは命じられるがままに泣いた。

「やーいやーい、泣き虫ロメオー! あいさつ代わりに泣いてみろー!」

 ロメオは男の子にしては身体も細くって、背も低くって、目もくりくりと大きい。
 とどめになるのが涙腺の弱さ。
 悲しい物語を読んでは泣き、パパの読む新聞に書かれた遠い国の辛い事件を知っては泣き、大切に育てていたカブトムシやチューリップが死んだり枯れたりしても泣くのだ。
 まだまだ子どもの、育ち盛りの七歳にしても感情が負の方向に豊かすぎる。
 そんなロメオの頭を膝に乗せて、ロメオのママは彼の色素の薄い髪を梳きながら、いつもこう言って聞かせるのだ。
「あなたが泣き虫なのは、人より少し情緒が豊かすぎるだけなのよ。ホントは誰だって悲しいことがあれば泣きたいの。ロメオが変なんじゃないわ」
「ホント?」
「ホントよ。グレールくんだって、意地悪がバレてゲンコツくれてやったらピーピー泣いて部屋から出てこなかったって、グレ―ルくんのお母さんが言ってたわよ」
 グレールは今日意地悪してきたガキ大将の名前だ。
「だからいいのよ。悲しいときはいっぱい泣いて。ためちゃったらいつかどこかでドカーン!! って大爆発起こしちゃうのよ」
「ママが今日ホットケーキをそうしたように?」
「あ、あれはちょっと焦がしただけよ!!」
 
 優しいママに甘やかされて、ロメオはいつも泣いて育った。転んで泣いて、流れた血を見て泣いて、しゃくりあげながら育った。
 だいぶ異常な光景だったが、聡明なロメオのママも、山育ちの山仕事で生計を立てる豪快なパパも、叱ってどうなるものでもないことを良く知っていた。
 近所の家より森や畑の方が近い、自然ばかりが取り柄の村で、ロメオはただそこにあるものと認識されて、存在していたのである。

 ◯

 泣いて転んでは立ち上がって、女の子みたいなロメオの身体も、ちょっぴり背が伸び強くなった頃の事。
 ロメオは一人で山に行った。
 趣味の昆虫採集のためである。
 友達を誘って行ってもいいのだが、パパから教えてもらった秘密の場所へ気軽に友達を連れて行くのはためらわれた。
 木と草と斜面ばかりの山の中。平らに開いたそこに来て一息つく。
 なんてことはない、パパがそのムキムキの腕で切り開いている途中の土地なのだが。
 切って積んである枯れ木にいっぱい幼虫が住み着いているのである。
 夏の始まりの暑くなってきたこの時期は特にいい。
 ただの資材置き場を得意顔で紹介する、クマみたいなパパの顔がロメオは好きだった。
 だから、喜び勇んでやって来た土地に先客がいたことで、ロメオはまた悲しくなる。

「な、なんだよぉ、こ、ここはボクと、パパのひみつの場所だぞぉ。パパの土地でも、あるんだ、ぞー! な、なんで他の知らないやつが、座り込んでるんだよお」

 鉄砲水の勢いで涙が噴き出る。いつものロメオの日常だ。でもいっとう悲しい気がする。
 だって知らないやつはロメオが泣く前から悲しい顔をしていたから。
 怒ってる人も落ち込んでる人も、すぐ泣いてばかりのロメオからしたらみんな笑ってるようなものだ。
 なのにそいつはもう泣くのも疲れた顔で、ロメオの先を行っている。
 ロメオの金キラ髪に負けない色素の薄い髪をして、地べたに直接座り込んでいる。

「ごめんなさい」

 そいつは一言謝ると、また顔を俯けてしまった。
 長いワンピースの裾を広げて、ロメオの方を見ようともせず、地面から生えた雑草の細い葉っぱなんかを見ている。

「あ、謝るくらいなら出てけよお」
「わたし、ここから動けないの」
「ん、んなことがあるかあ!」
「本当。動けないの」

 大人の顔の伏せたまつ毛にやたらと色気と説得力があって、ロメオは涙目抗議も大好きな昆虫採集も諦めて一緒に座り込む。 
 
「なんで、そんな顔してるんだ」
「泣くのに疲れちゃったからこんな顔なのかも」
「かも?」
「泣いてたのずっと前だから忘れちゃった」

 そいつは足元ばかりに目を向けながらポツポツ語り出した。
 ずっと昔、まだここに村があった時のこと。
 そいつはたくさんの人に囲まれて、愛されていた。
 いろんな人がそいつの元に訪れては一緒にピクニックを楽しんだり、祭りのダンスを共に踊ったり、季節が流れ白く染まった大地を共に眺めた。
 けれどある時、ここは不便だからと村人たち全員が他の場所へ移ることになった。
 その時そいつは連れて行ってもらえずに置き去りにされた。
 それ以来ずっとここで独りぼっち。
 楽しいピクニックも、ダンスの音楽も、心地よい人のざわめき声もなく、一人で見守る四季の風景は褪せたものに変わった。

「ここから動けなくても不便に感じたことはなかったけれど。誰もいなくなっちゃうとこんなに静かなのね」

 そいつの話を聞いて、ロメオはいつもの通りに泣く。
 こんな気質だからロメオには友達というものが少なかったけれど、それでも遊んでくれるやつはいたし、何よりパパとママは優しかった。
 独りぼっちのそいつの話が、ロメオには染みたのだ。

「わたしのために泣いてくれるの?」

 泣き虫ロメオの顔を見て、そいつは綺麗な瞳を細めて微笑んだ。
 ママがロメオを安心させるために作る笑顔と違う種類のものだった。

「おれ、こういうはなし、聞くと、ダメ、なんだ。いっつも、わけ、わかんなくなって、泣いて。だから、お前のためとかじゃ、きっと、ない」
「それでも嬉しいわ」

 ロメオの涙がロメオのためのものならば、そいつの笑顔もそいつのためのものだったのだろう。
 少年は自分のためにひとしきり泣いて、
 そいつは自分のためにひとしきり笑って、
 やがてそれにも終わりが来る。

「……泣いてくれたお礼に、ここから出ていくわ」
「動けないんじゃ、なかったのかよ」
「今までは。もうそれも終わりかな」

 そいつはロメオの小柄な身体を抱きしめる。ふんわりした感触に、泣いたのとは別に顔が熱くなった。

「ありがとう」

 耳元でささやくと、ふんわりの感触がふわふわになって弾けてロメオの鼻をくすぐる。
 小さくくしゃみをしたロメオの頭上で、真っ白なものが飛び上がる。
 それは大きな綿毛だった。夏のさわやかな風に乗って、たくさんの綿毛が山向こうへ運ばれていく。
 飛びそこなったやつが落ちて来て、茶色い大地が白く染まる。
 流れゆく季節が降らせる雪のように。 
 ありがとうを言ったそいつがいた背後には、大きな大きな樹があった。
 枯れてボロボロのポプラの樹。
 そいつが消えたのを綿毛だらけの視界の中で自覚して、ロメオはまた泣く。
 ポプラにくっついたままの枯れ葉が、ザリザリしゃらりと枝をこすって震えていた。

 ◯

 勢いのままにパパの仕事道具のオノを勝手に借りてきて、むちゃくちゃに泣きながら幹に刃を叩きつけた。
 削りクズを飛ばしながら木がえぐれてフラフラと倒れてきて、幹は直撃しなかったけれど落ちて来た枝は脳天にぶつかってボタボタ血が出た。
 帰ってこないロメオを探しに来たパパに抱えられて医者に行って、それでもバイキンが傷口に入って三日四日くらいロメオは熱に浮かされることになる。
 うんうん唸って苦しむさなか、ありがとうを言ったそいつが夢で微笑んでいた。
 何笑ってんだよおと夢の中で泣いたかはよくわからない。
 なにしろ起きたらロメオは泣かなくなっていた。
 全く泣けなくなったわけではないが、ちょっとガキ大将に小突かれたり新聞の悲しいニュースを見た程度では涙を流さなくなっていた。
 ママは息子の成長を喜んだけれど、ロメオはあいつがオレに笑いを感染らせたんだと思っている。
 この時ばかりはパパにもママにも散々叱られて、もう勝手に親の仕事道具を持って行ってはいけないときつく言い聞かされ、しばらく山にいくのさえ禁止された。
 ロメオもロメオで、もう山になんか行きたくはなかった。
 そいつの泣きそうな顔と、最後のふんわりした笑顔がただでさえ頭に焼き付いて離れないのである。あんな場所、頼まれても行きたくはない。
 しかし紅の葉落ちる秋が来て、そいつを連想させる雪が積もって、ぴょこぴょこと小さな花が芽吹く春になり、山へのお出かけ禁止令が解けると、ロメオもソワソワ落ち着かなくなって来た。
 ここしばらくよくお手伝いしていい子でいたね、とパパママ二人に許可をもらったからいいんだ。そろそろ大好きな昆虫採集にもちょうどいい季節だし。
 泣かなくなって殴り返して、たまに遊ぶようにもなったグレールにも、山で採れた素敵な虫を見せてやってもいいだろう。
 頭の中で言い訳しながら、行く途中でみかけたモンキチョウも、複雑な形をしたアゲハも全部ほっぽって、そいつのいた場所へ一直線。

 パパとの秘密の場所は、おおむね最後に見た通りのままそこにあった。
 泣きながらぶった切ったポプラだけが、切り株になって年輪をさらしている。

「わたしってばずいぶんながーく生きたのね」

 年輪をふむふむ覗き込みながらそいつが言った。

「動けないってウソだったんだな」
「ホントよ。でもあなたが私を切ったら、フワーッとした意識が引き戻されて、ここにいて、動けるようになってた」
「お姉さんみたいな格好もウソだったんだな。今チビじゃん」
「ひっどーい、長生きしたのはホントなんだから」
 
 切り株から新たに芽吹いた木の枝と、同い年くらいのちっちゃな姿になったそいつを見て、ロメオは笑った。