オレの幼なじみ・森永千夜子《もりながちよこ》はチョコレートが大好きな女子である。幼稚園の頃、お隣に引っ越してきた時、母親に手を引かれてあいさつに来た時も、チョコレート色のツインテールを揺らし、チョコレートの瞳をクリクリさせ、板チョコをポォリポオリかじっていた光景はインパクトがあり、高校生になった今も記憶に鮮明に焼き付いている。

 そんな千夜子は朝はチョコクリームをたっぷり塗ったトーストを咥えて走り、お昼はチョコパンチョコサンド、おやつは板チョコ丸かじり、夜はホットチョコレートとチョコレート三昧の食生活を日々送っているのだった。

 オレは流石にそんなチョコ女に毎度は付き合えず、たまのおやつのお呼ばれと、年に一回のバレンタインデー、『二人きりのチョコ祭り(千夜子命名)』以外の干渉はしないでいる。

「だってだってぇ、千夜子はチョコレートの国から来たチョコレート人なんだよ? チョコを常に摂取しないと死んじゃうのだ」
「へいへい」

 チョコドーナツをかじりながら、声帯までもが甘い千夜子の言葉を受け流す。千夜子の口癖だ。髪をくくるシュシュまで実はチョコが半分かかったフレンチクルーラーの形をしていたりするので要注意である。

「えへへぇ、バレンタインデーは最高だね! 普段あんまりチョコ食べるの付き合ってくれないカジカジも一緒に食べてくれるし」
「だーれがカジカジだ」

 申し遅れていたが、オレの名前は|八ツ屋梶郎《やつやかじろう》。通称カジカジ(こんな呼び方をするのは千夜子のみ)。

「まあチョコレートもらえた数ゼロよりはな。チョコ女に付き合う方がマシって言うか」

 二人でスーパーやコンビニで各種大人買いしたチョコを喰らいまくるそれは、バレンタインとかけ離れた行事のような気がするが。オレは大体序盤でギブアップして、食うのはもっぱら千夜子だし。きょうび女子が貞淑に下駄箱とか机の中に忍ばせるとか、手紙を添えて告白するのが決まりと言う気はないが、机の上のチョコビスケットを、アーモンドチョコレートを、マーブルチョコを、チョコチップクッキーを、チョコアイスを、チョコケーキを、次々次々平らげていくチョコ専門ゴジラをバレンタインの王道とは呼びたくないと思う。

 オレにとってはもはやコレがバレンタインデーの風物詩となってしまっているのが怖いのだが。

「時々でも、チョコパーティに付き合ってくれるカジカジがぁ、千夜子はだーいすき♡なんだよ?」
「へいへい」

 そんなチョコレートのついでの大好きなんか、誰が本気にするんだ。

「あ、間違えてブラックチョコレート買って来ちゃった。カジカジ、食べてー」
「お前なんでブラックチョコは喰わないんだよ、チョコ差別だぞ」
「苦いの嫌いだもん」

 などとやっていたのが、去年までの事。

 今年のバレンタインデーも、いつものように千夜子の部屋に呼ばれてチョコパーティ。だと思っていたのだが、机の上にはいつもの山盛りチョコ菓子は用意されておらず、代わりにポツンと、ブラック板チョコレートが一枚。それと、板チョコ型の封筒(手作りらしい……)に入っていた、バレンタインらしいハートの散った便箋。

『梶郎くんへ』

 なんだよかしこまっちゃって。いつも『カジカジは千夜子に甘いからぁ、齧ったら甘いかなー?』なんて腕に噛みついてくるくせして。

『毎年たっくさんのチョコレートと一緒に、梶郎くん大好きって伝えてたけど、とうとう伝わらなかったね。千夜子も恥ずかしくてふざけたような言い方してたのも悪かったんだけど……。タイムリミットが来ちゃったみたいです。』

 ??? 何を言っているんだ、コイツは?

『千夜子達、チョコレートの国のチョコレート人の女の子は、十六歳のバレンタインデーまでに好きな人と両想いになれないと、悲しみで身体がドロドロに溶けて、一枚のほろ苦ブラックチョコレートになってしまうのです。
もう梶郎くんとチョコレートが食べられないのも、梶郎くんとバレンタインデーをすごせないのも、梶郎くんと毎朝学校に行くことも出来なくなるのは悲しいけれど、千夜子がおくびょうで、あまーいチョコレートの後ろに酸っぱい気持ちを隠しちゃったのがいけないんだよね。
──こんなことになるのなら、まっすぐ梶郎くんに気持ちを伝えれば良かった。チョコレート女なんて嫌い、女の子として見れないって言われても、何もしないよりマシだもん。
もう身体が解けて来ちゃいました。千夜子はもうすぐビターなブラックチョコレートになってしまいます。今年のバレンタインデーは一緒にチョコを食べられないけれど、もうチョコレートなんて飽き飽きかもしれないれど。チョコになった千夜子は、梶郎くんに全部食べて欲しいなあ……。じゃあね、梶郎くん、大好き。  千夜子』

 便箋に書かれた最後の方の文章は、ブラックチョコレートらしい汚れで滲んでいた。

「は、はは……性質悪い上にセンスねぇ冗談だなぁ……おーい千夜子! いるんだろ、出て来い!」

 返事は帰ってこない。部屋から出てみるが、家の中は静まり返っている。

「嘘だろ……? もし手紙の内容が本当でも、まだバレンタインデーは過ぎてねえじゃねえか……今年も、これからも毎年、二人きりのチョコ祭りするんだろ?」

 部屋の中、一つっきり置いてあった板チョコレートをそっと持ち上げる。真っ黒なパッケージのチョコレートは苦そうで、いつも甘ったるい匂いを纏ったアイツらしくなかった。やっぱり悪質なウソなんだと思った。

「まだオレの気持ち伝えてねえぞ、千夜子の事が好きだって伝えてねーぞ!! なんとか言えよ、千夜子!!!」
「カジカジ、それ本当?」

 甘ったるいアイツの声が聞こえた。手の中のチョコからではなく、背後の開いたドアの影から。

「千夜子! こんのバカ野郎、やっぱり悪質なウソだったんだな! 心配かけやがって!」
「えへ、ゴメンなさい」
「ゴメンで済むか、バカ!」

 オレは千夜子の小さくて甘ったるい身体を抱きしめた。

「あんまりバカバカ言わないでよ。千夜子バカなんだから、もっとバカになっちゃう」
「何べんでも言ってやる、このバカバカバカ!」
「ね、せっかく両想いなんだから、好きって言ってよ」
「……好きだ」
「もっと。バカって言った分だけ」
「好きだ好きだ好きだ好きだ」
「……一回分、足りないよ? 不足分はキスで払ってね?」

 背伸びした千夜子にキスされた、はいいのだが……。

「……なんか味が苦いんだが」
「あ、結構ブラックチョコレート化が進んでたのかも……」

 バカかもしれないが、ウソつきではなかったらしい千夜子とのファーストキスは、間一髪のほろ苦い味がした。