娯楽の乏しい場所にある夜の酒場というものは暇を持て余した人間達で賑わうものだが、その片隅にあるテーブル席は一際騒がしい。盛り上がった集団かと思えば、そこに座している影は一つなのだから不可解である。
「ありゃー、随分盛り上がっちゃってるねー、一人で」

 頼んだ魚の干物を肴に急ピッチでジュースを飲んでいたミドが、少し離れた席にいるアルジェンを感心したような顔で見ていた。何杯も飲みたがるくらいジュースが好きなくせに、ナランハが飲んでいるのを見ると酒を飲みたがるのがミドの悪いくせだ。

「懐にガキがいるから正確には違えだろ」

 アルジェンの膝の上に乗せられた青髪の少年を見つつ、ナランハもフライの残りにフォークを突き刺した。向こうでもちょうど膝の上の子ネコが焼いた魚の切れ端を口に放り込まれてモグモグと口を動かしている。酔っぱらうと亭主関白のように見えるが、案外マメな奴だ。

 共に行動しているのに席を移ったのは、アルジェンが酔っ払って手がつけられなくなったからだ。そんな場所に子ネコを一匹置いていくのは忍びなかったが、なにせ元凶が飼い主は自分だとばかりに抱きかかえて離さないのだから仕方ない。無理に引き剥がすと暴れ出しかねないのでそのままにした。

 酒精のにおいのする息を吐き交わしながら騒ぐ酒場の人間達の中では、あれでもおとなしい方だ。なんせ向こうの席ではケンカ騒ぎが始まっている。飛んできた骨つき肉の骨から懐のアオイを守るように、アルジェンは乱闘から背を向ける。長い銀髪に魚の骨が刺さった。かじりかけのリンゴが引っかかった。

 酔いの勢いでケンカ騒ぎに加わらないのはかしこいと言える。案外目立つような厄介騒ぎに顔を突っ込みたがらないところに、へっぽこなりの生存術というか人生を感じなくもないがそこは深入りしないでおこう。単に弟分との蜜月を邪魔されたくないだけかもしれないが。

「にゃ、にゃんか背後からすごい破壊音と叫び声が聞こえてくるんスけど!?」
「んー? オレには聞こえないなあ、かわいいかわいい弟分の鳴き声しか」
「にゃ、ニャー……」
「ほーら鳴いたのだ」

 照れてうめく反応を堪能しながら、アルジェンはそろいの赤ら顔になってしまった子ネコの頰をつつく。頼んでもいない銀髪への追加注文となった干し肉の切れっ端やらフォークが、とばっちりというより野次に見えるのは今現在進行形の行いのせいだろう。

 さらに増えた装飾(野菜のかけらや干し杏でとってもカラフルである)でアルジェンの髪が少し早いクリスマスツリーのようになった頃、ナランハは席を立った。

「ニャ、どうしたんスかニャランハさん」
「ずいぶん微笑ましい響きの名前だな俺は。いい加減周りが騒がしくて危ねえからガキだけでも
回収しとこうかと思ってな」
「あ、やっぱり? うーん、そうッスかー……」

 乱闘騒ぎもナランハの気づかいも理解しているはずだが、膝の上の子ネコは飼い主の背中に腕を回したままである。そんなことをする必要もなく、引っ付かれている飼い主の腕から離れるのに苦労するレベルだと思うのだが。

 薄情にも子ネコを残して席を移った主な理由を象徴する、子ネコの細い腕の動きを眺めていると、背後から超大物級の無断注文が飛んできた。殴られて吹っ飛んできたゴロツキの酔っ払いだ。

 鞘に刺したままの剣に魔力を込め、ナランハは振り返った勢いに乗せて酔っ払いを打った。撃と聖の魔力を食らった男は、酒くさい店内の換気のため開いていたドアを音速の勢いで越え、外の生活用水の池に落ちた。助けてくれぇ! とわめきたてる仲間に、騒いでいた男達が慌てて外へ走って行く。酒場の空気は嫌いではないが、席を離れる時も剣を握って歩かないと危なっかしいのが難点だ。ヒューヒューナランハちゃんカッコい〜。見物を決め込んでいたミドの声がする。

「悪かったな、客追い出しちまって」
「いや、そろそろケンカするなら外でやれって怒鳴ろうと思ってたところだ。助かったよ」

 あいつら明日来たら倍の請求してやる、と常連らしい男達に愚痴りながらひっくり返ったイスを元に戻している店主から視線を戻せば、なんだか知らんが邪魔者はいなくなった! とばかりに子ネコのほっぺに頬ずりしている、親バカ兄貴の姿が見えた。

「フニャ〜恥ずかしいッスー!」

 言葉とは裏腹に、回したアオイの腕はそのままである。ナランハちゃん戻っといでよ、ほっとけって、というミドの声に確かにそうだなと無言で同意する。そんなつもりもなかったが、結果的に乱闘騒ぎも落ち着いてしまった。ならばせめてと、嫌がるアルジェンの長ったらしい後ろ髪を掴んでへっぽこクリスマスツリーの飾りを払ってやる。ゴミ飾りその他は店内をほうきで掃いていた店主に献上した。

 (ガキには優しいからってあんまり懐いてると、また大変な目に遭うぞ)

 兄貴にくっつかれて嬉しそうにしている子ネコを見てそう思ったが、いらない忠告かもしれない。世話焼きな自覚はあるが、拾われた子ネコが拾われた先でどう過ごすのかは──拾い主と子ネコの問題だからだ。