庭にある、真っ赤に染まったカエデの樹の最後の一葉が落ちるのが毎年の合図です。
 それは秋からの手紙でもあります。
 あなたたちの季節がやってきましたよ、と。
 もう起きないといけませんよ、と。
 
「ああ、また私たちの季節がやってきたのね」

 ユキは白い封筒のような、生き物の体温の感じられない純白の髪を邪魔にならないよう後ろに一本に編みこんで、つるりとした流氷のようなミシンの前に座りました。
 トン、トン、トン、トン、トン。カラ、カラ、カラ、カラリ。
 ユキが足を踏むごとにミシンに固定された白い布がどんどんどんどん縫い合わされて、長く広く、大きなドレスのように波打って収拾がつかなくなっていきます。
 部屋がすっかり白い布だらけになっても、ユキはまだ意固地になったようにミシンを踏み踏み、踏み続けます。
 トウジがそこへお盆を手に持ちやって来ました。
 
「やあやあ、朝から僕の嫁さんは張り切ってるなあ」

 部屋いっぱいに広がる白い布を器用にひょいひょい避けて、トウジはユキの作業台の横にたどり着きます。
 お盆の上には海苔で白黒のおむすびとホワイトシチュー二人分。
 おむすびの中にはシャケやからあげ、シチューの中にはニンジンのオレンジとブロッコリーの緑が散らばっていて、自分の白い髪にも白いミシンにも白い布にも飽き飽きしていたユキはホッと一息つきました。
 
「ちょっとこの布はでっかくなりすぎたから、持って行っちゃうね」
 
 先に食事を食べ終わったトウジが立ち上がり、部屋に広がった布をやって来た時みたいにひょいひょいくるんで片づけていきます。
 ユキも食器を片づけて、トウジの後をついて行きます。
 庭に出ました。家と、その周りに広がる庭の先はちょうと小さな島が空の上に浮かんでいるような形になっていて、上空の冷たい風がユキたちにぶつかって来ます。
 ユキもトウジも寒くはありません。なぜなら彼女達が冬そのものだからです。
 トウジが抱えた布を地上に落とすと、布はヒラヒラ飛んで広がって街に落ち、やがて雪になりました。
 冬を落としたのは世界のほんの一画、クッキーのひとかけら程度に過ぎず、まだまだユキもトウジも頑張らなければなりません。
 果たして世界にはっきりとした冬が来るのにどのくらいかかるのでしょう。
 調子のいいときはたった一日、悪い時は数週間で、世界は秋から冬に切り替わります。
 ユキたちは山どころではない、世界全てに雪のお化粧を施す大仕事をしているのです。

「冬ってつまらないわよね」
「どうしてだい?」
「春は綺麗な桜吹雪を落として若草とお花畑で世界を変えて、夏はパキパキに緑の葉っぱを落として暑くして、秋は落ち葉を落として赤に黄色に染めるでしょ? それに比べたら雪って全部真っ白で、人も動物も植物にも冷たくて、なんだか悪い事してるみたいなんだもの」
「そうだねえ、冬っていうのは動物にも植物にも人にも優しくないかもしれない。でもね、ユキ、知ってるかい? ユキが大好きな桜吹雪の桜。これってね、冬に十分寒くならないと咲くことが出来ないんだ」
「そうなの?」
「うん、そう──種類にもよるけどね。だからユキと僕は、冬にしながら、春のお手伝いもしているんだよ」
「春のお手伝い……お手伝いかあ」

 真っ白なユキの頬が、ほんのりと赤くなります。それからユキは、よーし! と両腕をあげて、冬にして春のお手伝いをしなくちゃ! と張り切って家の中へと戻っていきました。
 トン、トン、トン、トン、トン。カラ、カラ、カラ、カラリ。
 ミシンを踏む音が、先ほどより小気味良いものになりました。
 トウジはユキに比べると縫い物は苦手なのですが、ユキをやる気にするのはこの世で一番上手いのです。
 それでもトウジはトウジなりに、冬づくりに一生懸命ではありました。
 トウジの作る白い布はちょっぴり不格好で、空から落としてもあまりきれいな雪景色をつくれません。
 そんなトウジの作る冬は、寒くなってもあまり雪の降らない、暖かい地方に向かって落とされます。
 そうすると空中で布が溶けて冷たい空気だけが散らばって、暖かい地方には暖かい地方なりの穏やかな冬が訪れるのです。

 トン、トン、トン、トン、トン。カラ、カラ、カラ、カラリ。
 トントトトン。トン、トトトトトン。
 二通りのミシンの音だけがしばらくの間続き、やがてユキが疲れてミシンから顔を上げたところで、トウジが窓の方へ手招きをします。

「働き者のお嫁さん、休憩ついでにこっちへおいで」
「?」
「あ、ああいや、光栄だけどそうじゃなくてね?」

 なんの疑問もなくトウジの腕の中にすっぽり収まったユキに、今度はトウジの顔が赤くなりました。
 仕方がないので抱えたまま、トウジは窓の方を指指します。

 トウジの勧めるままにユキが窓から地上を眺めると、そこには合間に落とした冬ですっかり雪景色になった大地がありました。
 白い雪は尾根も人の住む家の屋根もすべて真っ白に染めてしまっています。
 ユキは冬のくせに、そういう景色があまり好きではないのです。
 仕方のないこととはいえしょんぼりした気持ちになっていると、赤や緑のセーターや毛糸の帽子、手袋でふっくらとした子どもたちが外へ転がるように飛び出て来ました。
 冬を温かく過ごすために作られた毛糸の鎧でかけまわる子どもたちは、冷たい銀景色に色が咲いたようです。
 活発な子どもたちは、ユキの作った冬をすくって雪玉にし、楽しくぶつけ合いっこを始めました。
 そこから少し離れた場所で、芸術家気質な子どもたちは雪だるまを作り、バケツや小枝で怒った顔や笑った顔の雪だるまを作っています。
 駆け回る子どもたちを横目に、大人たちは屋根の上の雪をかき、用事に出かけ、白しかなかった世界に屋根の色を戻し、たくさんの生き物の足跡を残していきます。
 
「──なんだか、温かいね、トウジ」

 人の足跡の合間にネコの足跡を見つけて、より一層微笑みながらユキは言いました。
 
「うん、とっても」
「私達がやっておいて、勝手な感想かもしれないけれど」
「違うよ、いったろ? ユキ。冬に寒くならないと桜は咲かないって。つまり──」

 腕の中のぬくもりをを少し強く抱きしめながら、トウジは言いました。

「冷たい冬があってこそ、暖かい春もやって来れるんだよ」