創作ファンタジーワンドロ&ワンライお題より「何度でも」/小さき者/鏡
放棄された貴族のお屋敷。貼ったクモの巣にすら主人はおらず。ネコの集会場にも向かないと、後にやって来た生き物にすら放り出されたその場所誰が住むかと言えば。
一匹のネズミでありました。ネズミ一匹ならば、梁の落ちた、カーテンの色あせた、オンボロ屋敷でもなんとかやっていけるものです。外に出れば、一匹分の木の実や栄養満点の虫程度、いくらでも見つかりましょう。
しかし。生活にさほど困らないとはいえど。ネズミは孤独でありました。元々ネズミは大家族の生き物でございますから、はぐれネズミの孤独とは、一人ぼっちの人間以上やもしれません。人ならば仕事で否が応でも人と関わらなくちゃ村ではやっていけませんし。家族がなくともその気があれば──大きな声では言いづらいですが──娼館に行って女を買っても良いでしょう。それを躊躇うなら、酒場で誰かと他愛もないお話をしたって良いでしょう。やりたいか、金銭や社交性の問題で出来るかは置いときまして。人間には目に見える、誰かと関わられる、関わらざるを得ぬ選択肢があります。
しかしネズミにゃありません。日々日々一匹、自分の口に糊するので精一杯。一匹分の食料くらい……とは言いましたが、外にはネズミを今日のおやつくらいにしか考えてていない猛禽、獣の類でいっぱいですから。代わりにネズミは、毎日お屋敷を駆け回りました。誰も火を灯さぬ厨房に放って置かれた缶詰の上にうずくまり、冷たい金属の孤独を全身で味わってみたり。上を滑っていたはずのやんちゃ坊主の代わりに、階段の手すりをピューッと滑ってみたり。
そして、とうとう見つけたのです。ドアが外れた入り口向こう。ひび割れた水晶玉や干しっぱなしのカラカラ薬草。薪にしか使えそうもない魔女の杖の間を抜けた先にある、その鏡を。
鏡の中にはネズミがおりました。いくらネズミがあまり利口な動物でないと言えど、鏡の向こうにいる自分自身を他者と間違えるなんて事は致しません。そういう恥は、外に出た時の水溜まりに映った自分にやあとあいさつした時に済ませていましたし。ながーい尻尾に、愛らしいピンクのリボンまでついていたのです。これは鏡の向こうに女の子のネズミがいるに違いないと、ネズミは確信しました。
チュウキュウ、とネズミはあいさつしましたが、鏡向こうのネズミは悲しげに目を潤ませるだけ。だけどネズミは意に介しません。鏡越しに尖った鼻をメスネズミに押し付け、埃を被って娘が見えづらいのを、薄汚れた自分の毛皮の腹でゴシゴシとぬぐい取りました。いくらかは綺麗になった鏡越しに見える彼女に、ネズミはうっとりと目を細めます。反対に彼女は悲し気に目を潤ませるばかりです。ネズミがキュウと恋情を含めて鳴いても、鏡越しに頬を摺り寄せても、彼女は鏡の向こう、立ちすくんだまま、ネズミを見つめ続けるだけでした。
しかしネズミはくじけません。秘密の部屋の彼女を見つけてから、外に出るたび彼女にふさわしい小さなネズミにピッタリな花を取って来ては、鏡越しに彼女の耳につけてみたりしました。人には指先ほどしかないささやかな花である黄色いカタバミや紫のオキザリス、ハルジオンなんかは、みんなみんな、ネズミにとっては大層な髪飾りです。ルリカラクサの小さいのなんか、上等な水色です。黄色に紫、白に青。コレは少しネズミには大きいでしょうけど、ヒナギクの赤なんかも似合います。それらみんな、彼女の毛皮の上に収まることなく、鏡の根元に落っこちて、枯れるばかりでしたけれども。
春夏秋と、冬が過ぎ。鏡の周囲に枯れた花達の茶色い絨毯が出来る頃。ネズミは死にました。人の一生何十年。ネズミの一生一、二年。寒さが小さな体に堪えたのもあったでしょう。霜の降りる朝、秋の終わりの香るキンモクセイの花は、鏡越しに彼女に飾られることすらもなく。届かない花の茶色い絨毯の上に、持ってきたネズミと一緒に横たわりました。生前様々な動きと表情と花飾りで豊かな表情を見せたネズミでしたが、鏡の向こうの彼女は、ずっと立ち尽くしたまま、何の反応もしませんでした。
それが今、くりくりとした黒い目から、ポタ、ポタと。涙を流したのです。そうして、彼女もグラリと身体を鏡の中で横たえました。
まるで鏡が本来の機能を取り戻したように。動かなくなったネズミと同じような格好で。彼女は身を横たえた後も、最期まで先に眠りについたネズミを見て、涙をはらはらと流し続けていました。
愛するネズミ。愛したネズミ。愛されたネズミ。さようなら。おやすみなさい。
放棄された貴族のお屋敷。貼ったクモの巣にすら主人はおらず。ネコの集会場にも向かないと、後にやって来た生き物にすら放り出されたその場所誰が住むかと言えば。
一匹のネズミでありました。ネズミ一匹ならば、梁の落ちた、カーテンの色あせた、オンボロ屋敷でもなんとかやっていけるものです。外に出れば、一匹分の木の実や栄養満点の虫程度、いくらでも見つかりましょう。
しかし。生活にさほど困らないとはいえど。ネズミは孤独でありました。元々ネズミは大家族の生き物でございますから、はぐれネズミの孤独とは、一人ぼっちの人間以上やもしれません。人ならば仕事で否が応でも人と関わらなくちゃ村ではやっていけませんし。家族がなくともその気があれば──大きな声では言いづらいですが──娼館に行って女を買っても良いでしょう。それを躊躇うなら、酒場で誰かと他愛もないお話をしたって良いでしょう。やりたいか、金銭や社交性の問題で出来るかは置いときまして。人間には目に見える、誰かと関わられる、関わらざるを得ぬ選択肢があります。
しかしネズミにゃありません。日々日々一匹、自分の口に糊するので精一杯。一匹分の食料くらい……とは言いましたが、外にはネズミを今日のおやつくらいにしか考えてていない猛禽、獣の類でいっぱいですから。代わりにネズミは、毎日お屋敷を駆け回りました。誰も火を灯さぬ厨房に放って置かれた缶詰の上にうずくまり、冷たい金属の孤独を全身で味わってみたり。上を滑っていたはずのやんちゃ坊主の代わりに、階段の手すりをピューッと滑ってみたり。
そして、とうとう見つけたのです。ドアが外れた入り口向こう。ひび割れた水晶玉や干しっぱなしのカラカラ薬草。薪にしか使えそうもない魔女の杖の間を抜けた先にある、その鏡を。
鏡の中にはネズミがおりました。いくらネズミがあまり利口な動物でないと言えど、鏡の向こうにいる自分自身を他者と間違えるなんて事は致しません。そういう恥は、外に出た時の水溜まりに映った自分にやあとあいさつした時に済ませていましたし。ながーい尻尾に、愛らしいピンクのリボンまでついていたのです。これは鏡の向こうに女の子のネズミがいるに違いないと、ネズミは確信しました。
チュウキュウ、とネズミはあいさつしましたが、鏡向こうのネズミは悲しげに目を潤ませるだけ。だけどネズミは意に介しません。鏡越しに尖った鼻をメスネズミに押し付け、埃を被って娘が見えづらいのを、薄汚れた自分の毛皮の腹でゴシゴシとぬぐい取りました。いくらかは綺麗になった鏡越しに見える彼女に、ネズミはうっとりと目を細めます。反対に彼女は悲し気に目を潤ませるばかりです。ネズミがキュウと恋情を含めて鳴いても、鏡越しに頬を摺り寄せても、彼女は鏡の向こう、立ちすくんだまま、ネズミを見つめ続けるだけでした。
しかしネズミはくじけません。秘密の部屋の彼女を見つけてから、外に出るたび彼女にふさわしい小さなネズミにピッタリな花を取って来ては、鏡越しに彼女の耳につけてみたりしました。人には指先ほどしかないささやかな花である黄色いカタバミや紫のオキザリス、ハルジオンなんかは、みんなみんな、ネズミにとっては大層な髪飾りです。ルリカラクサの小さいのなんか、上等な水色です。黄色に紫、白に青。コレは少しネズミには大きいでしょうけど、ヒナギクの赤なんかも似合います。それらみんな、彼女の毛皮の上に収まることなく、鏡の根元に落っこちて、枯れるばかりでしたけれども。
春夏秋と、冬が過ぎ。鏡の周囲に枯れた花達の茶色い絨毯が出来る頃。ネズミは死にました。人の一生何十年。ネズミの一生一、二年。寒さが小さな体に堪えたのもあったでしょう。霜の降りる朝、秋の終わりの香るキンモクセイの花は、鏡越しに彼女に飾られることすらもなく。届かない花の茶色い絨毯の上に、持ってきたネズミと一緒に横たわりました。生前様々な動きと表情と花飾りで豊かな表情を見せたネズミでしたが、鏡の向こうの彼女は、ずっと立ち尽くしたまま、何の反応もしませんでした。
それが今、くりくりとした黒い目から、ポタ、ポタと。涙を流したのです。そうして、彼女もグラリと身体を鏡の中で横たえました。
まるで鏡が本来の機能を取り戻したように。動かなくなったネズミと同じような格好で。彼女は身を横たえた後も、最期まで先に眠りについたネズミを見て、涙をはらはらと流し続けていました。
愛するネズミ。愛したネズミ。愛されたネズミ。さようなら。おやすみなさい。
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