小公女感想
いわゆるドアマットヒロインの元祖なんだろうけど……なんかそういう汚い言葉使いたくないな、これ。タイトル通り彼女は小公女、リトル・プリンセス、小さなお姫様なんだよな、心が。
精神が理想のスーパーヒロイン幼女って感じだけど、実際セーラってすごい素敵な女の子。彼女の感性が作る厳しくも美しい世界は、素直に泣けてしまった。恵まれてる頃から「私がお金持ちなのもみんなが言う良い子なのも偶然、たまたま」なんて言えちゃうのカッコいいよ。自分の出来ることが他人に出来るとは限らない、ってのもだが、物事を多角的に見れる賢さがありつつも、夢を見ることを忘れない女の子なんだよね。夢を見続ける事にかけては、ポリアンナや赤毛のアン以上のオーラあるわ。
そりゃロッティもアーメンガードもベッキーもこんな女の子なら懐くよなあ。私もセーラの友達にしてもらいてえわ。
ミンチンのクソ野郎に全部潰されるけど、アーメンガードがもって来るごちそうのためにささやかに食卓を彩ろうとするところ美しい感性過ぎて泣けた。
やっと買えたパンのほとんどを浮浪児の子にあげた優しさがパン屋のおかみさんと孤児をつなぐキッカケになったりとか、とにかくセーラの優しさは誰かの心を救うんだよな。
泣き虫ワガママロッティだって、頭のよくないアーメンガードだってセーラのおかげで成長するし。セーラの優しさは本当に相手に寄り添っているというか……。彼女がガチ切れしたのって、ベッキーがつまみ食いの濡れ衣で酷く叱られた時くらいで、自分の時はイラッとしたって耐えてんだよな……。ここで察しのよくないアーメンガードすら、彼女が空腹を隠してるのに気づくのも上手い。
ボロボロのベッキーがお気に入りの椅子に座ってるのをきっかけに仲良くなるくだりとか、表現も綺麗で泣かせる。ベッキーだってお姫様みたいな表現されてしかるべき女の子なんだよなぁ……。
確かにインドとイギリスの当時のデリケートな関係とか、出来過ぎた幸運とか、解説の人の言うように色々あるのかもしれないけど、別に変な教訓や共感とかなくたって、変に目くじら立てなくたって良いじゃない。こんな精神がスーパーヒーローヒロインみたいな子を、ただ読者が戦隊ヒーロー応援するみたいに楽しんだって、彼女の優しさにこっちもただただ癒されたって良いじゃない。そういうタイプの優れた児童文学があったって良いじゃない。私も良い年してセーラ頑張れー!!みたいな気分になっちゃったし。