【追記】なんとか今日中に書き終わった。月を飛ぶ蝶のように(カクヨムに飛びます)



推しキャラ男子二人が王子みたいな恰好で実装されてからずっと、一次創作欲が奪い取られてて困る。二次創作小説は一日で1万字以上も書けるのに、カクヨムでお題貰って書こうと思ってた掌編なんちゃってSFは全然進まない。ぼーっとしてると頭に愛し合う王子様二人(腐った、推しをキラキラフィルターで見ているクソメルヘン系腐女子視点での感想)の怪文書が無限に浮かんで浮かんで……。

やっぱ人が作ったキャラや物語に心動かされてる時が一番楽しいんだろうな。でもそのやる気のなざに反してやってみたいことが一次創作なの、自分の思考回路がクソ過ぎて自分をボコり倒したくなる。

一次創作って全然スラスラ出来ないから楽しくはないんだよな。語弊のある言い方だけど。

ダメだダメだダメダメ、今日中にカクヨムお題小説は書きあげてうpるぞ。

しかし自分のメルヘン脳に関しては己の幼稚の象徴のようで、他者の美しいメルヘンへの好感度とは正反対にやっぱり自己嫌悪が酷い。でもやっぱ推しをホストとか照れで言っちゃうくらいなら自分がクサい方がマシだなぁと感じる。他の人は言いたきゃ言えばいいけどさぁ、自分自身を偽るのはそれすなわち己が嫌ってる己のメルヘンより寒い逃げだからさぁ。カッコイイ場面でギャグに逃げるくらいなら、クサくて寒くて滑り散らかして死んだ方がマシってスタンスだからギリギリ留まっている感じ。

意外と女の人のがメルヘニストって少ないよな。もちろん探せばいるだろうし、時代背景もあったろうけど、メルヘン系作家ってやっぱ男子の独断だし。推しの事サラッと王子言うてる人もどっちかというと男子のがフツーに言ってる感じ。私の持論だけど、女の人ってどんだけ自意識過剰だろうとなんだろうとどこかで「わかってる」って人が多くて、男のが永遠に夢見てるようなとこあると思う。何かしらの背景事情は置いといても、もう根っこの性質がそこら辺を難しくするんじゃないかなって勝手に思ってる。痛いババア的概念も自分含めて、普通にいるとは思うけどさ。

良いも悪いも永遠の少年ピーターパンみたいな男は今も魂の概念としてあると思うんだが、ルイスキャロルが抱いたであろう、永遠の少女アリスみたいなのって、時代とかそういう面倒な要素引っぺがしても、本当の本当に空想の中にしかないような感覚がある。魔女の宅急便(原作)にそういうおばあさんは出て来たけど、なんなら空想の中にすら少ない人種な気がする。ゼル伝チンクルの女バージョンはあまりメジャーになんねえというか。こないだ読んだ森茉莉さんがかなり永遠の少女の魂的なアレに近いと思うけど、やっぱりあの人も自分の幼い部分をどこかで笑ってる上で楽しんでるような淑女を感じるからさ……。

ピーターパンの普遍性ってのは、ウェンディのその後と合わせて、男と女の明確な普遍性を上手く描いてるのが時代を超える理由じゃねぇかなあって……。むかーし幼稚園の頃読んだ絵本の解説には「いつの時代の子どもの心にもピーターパンがいる、それが愛される秘訣」的なもっともらしい事書いてあったと思うけど。コレは普通に建前じゃねぇかなあと思う。まあここら辺も誰かがとっくの昔に言ってる浅~い分析(笑)だとは思うんだけど、幼稚園の頃読んでた絵本の解説よりかは自分で納得出来る気がする。でも古典的な小説掘ってると、あるよなぁ。「古すぎて読むのが苦痛」ってのと「今でも普通に通用する」って作品。
2023/09/18(月) 10:01 雑記 PERMALINK COM(0)