何者でもなく、豊かなシティで一人、よくわからない孤独や寂しさを抱えている少年・イヴが奔放な少年のような、少女のような女性・レダと出会うボーイミーツガールSF(レダの実年齢考えると、ガールは適切じゃないかも)。すごい小説だった。



何がすごいって、大型カバー573p2段組という文字ギッシリ大長編で、終始「淋しい」しか言ってない。多彩で豊かな美しい比喩で沢山の言葉達が溢れてきらめいているのに、要約するとマジでそれしか書いてない。コレには「さびしい」が作品評価のかなり重要なポイントになる私すら、途中「他に書く事ないのか?」とチラッと思ったくらい。少年の成長ものとして見ると、主人公のイヴ君は毎度毎度わかった気になってすぐヘタレるの繰り返し過ぎて、しかもメチャクチャ大長編でそれ繰り返してるから、流石にちょっと……って感じだし、マジで登場人物全員、誰も彼も「淋しい」「私を見て」と言ってるだけの話……って感じではある。あるんだけど、それだけにこの作品の感覚って永久不変って感じがする。

淋しいの代表者イヴ君と、奔放でシモの緩い、淫乱ヤリマン(なのにすごくキャラとして魅力的)な、しかしイヴと同じように、自分に欠けた何かを探すように不安定にふるまい続けるレダ。それだけでなく市長みたいなお偉いさんも、イヴの同期のミラも、イヴのパートナーで何もかもを包む強い女性のように見えるアウラさえも、みんなみんな、蓋を開ければ寂しいだけの人、人間臭く何かに縋る人達でしかない。一言で言えば、SFには珍しいくらい、終始何もかもが俗っぽさで溢れてるんだよね、この作品。

私SF小説ってどうしても苦手な部分があって、用語のややこしさやなんとなく遠い感覚がある人の描き方、世界の描き方のせいなのか、毎度外国の作家、日本の作家、ライトノベル、もう少し本格的な作品、ジャンルや形態を問わず大抵読みつっかえながら読んでる始末なんだけど。このレダには本当に全く、その感覚がなかった。多少の専門用語やディストピア要素はあるんだけど、一瞬で頭の中で、自分に身近な感覚として変換可能なくらい、俗っぽさに満ちてる。こんなに入りやすくて身近なSFは初めてかも。それだけに多分、SFとしては出来がいい作品とは言えないんだと思う。こういうの大好きな私でも、長文会話をストレスなく美しい文体で書ける作者の文才でも、流石にダレるのを感じなくもなかったし。

でも、だからこそ、主人公がさっぱり成長しねぇからこそ、この終始漂う本作の「淋しい」の感覚は、刊行されて40年以上経った今でも、私に刺さる部分があった。この手の作品に甘い私から見ても欠点は見える作品だし、自作大好きな作者すら苦々しく、嫌ってるような発言が文庫版で見受けられるくらいらしいし。作品としてちょっと構成や流れに欠陥が見えるってだけじゃなくて、あまりに俗っぽくてあけすけすぎるのも、作者が嫌う理由の一つかもね。ホントにそのまんま、作者の本音をざっくばらんに書いてんじゃないかな、ってくらいの話だから。

例えばイヴが、苦手に思ってたアウリが自分を第一パートナーに選んだくだり。その好意やアウリに愛される事を喜んでんじゃなくて、「自分に、皆に人気の世話係のお兄さんが選ぶくらいの価値がある」って事を喜んでんだよね。これって愛を受け取った人の感覚として、一番低俗かつ、正直な感想なんじゃないかなって思う。別にアウリなんか好きじゃなかったのに、好きって言ってもらってからはなんか彼が素敵に見える、みたいな感覚もリアル。敢えて下品な書き方すると、レズのパートナーじゃ我慢できなくておチンポたくましいスペースマンだの、若いイヴだの漁るレダも、「お前にはチンポがあってレダを満足させられていいよな(要約)」言っちゃうアウラとかも、現代もののシモが緩い話でもなかなかないんじゃないかな、ってくらいざっくばらんなんだよな。良くも悪くも自分をさらけ出した作品しか書けない感じの作家といえども、そもそも作家ってそういうもんだって言っても、これって後から見るとちょっと直視が恥ずかしいんじゃないかなって。だからこそ生々しさが良い意味で引き立って、あんま古く感じないんだけど。ミラの激昂とすげぇ陰湿な仕返しとかは、純粋に良い意味で俗っぽいやり場のない若者してて良かったし。そんな俗っぽさの中で、淋しいとかキレるって事すら許されない世界観なの、嫌だなぁって思った。良い意味で。

今更再注目されたり再評価されたりってタイプの作品じゃないかもしれないけど、今も今後も誰かこの作品が刺さるタイプの人が不意に手に取って、その沁み込む感覚を味わうであろう不変さはあるだろうな。って感じる、超ウルトラハイパーメガトン級に俗っぽい人間臭いSFだった。ちょっと間延びしてる印象はあるけど、お腹いーっぱい俗っぽさと淋しい感覚を摂取したい人は試す価値があると思う。感情的過ぎて俗っぽすぎてある種いい加減すぎて、手垢がついてそうでこの作家にしか書けないだろうなって感じる良さがある。ファンが本当に素敵な犬すぎて終盤の展開は悲しかったんだけど、この終始俗っぽい作品だからこそ、レダの怒りという形で読者の悲しみに応えてくれて、悲しみ以上の瞬間風速を見せてくれたから、この手のものにある胸糞感をあまり感じさせなかったし。作中で報われる事がなくとも、まともに理解されなくとも。あの怒りは読んでて嬉しかったし、同じく刺さった人は似たような感想出るんじゃないかな。

人によっては退屈でしかない、世界観を同じとする「メディア9」のが好きって人もいるとは思うが。刺さるタイプの人にはとても良い本だと思う。私は欠点とダレるのを考慮に入れても、メディア9よりこっちの方が好きかも。メディア9はちょっと終盤の展開に私の感覚がついていけなかったし。こっちはずっとピッタリ寄り添う感覚があった。「実際このくらい科学が発展しても、人ってこんな感じだろうな」って思わせる謎のすごみがある。

栗本薫さんを好きだった人は、失望と絶賛をしながら「この人は結局模倣とまがい物しか書けない」と言ってるようなイメージがあるけど。なんというかそんな感じで、器用でもなければホントの一流の作家じゃないからこそ、こうして不変な、SF苦手な私にスルリと入って来る、寄り添ったものが書けるんだろうなって思った。この人のSFって、本当に読みやすい。
2023/10/07(土) 15:12 作品感想 PERMALINK COM(0)