私の絵は
まあ普通に90年代くらいの小学生の自由帳に描いてある絵レベルの画力しかない前提で、地味に面倒な描き方してる事に気づいたので一応描き残しておく。
私の絵って、つまりここでやってる読書感想文とかとあんま変わらないんだよね。例えばドラえもんの知識なしの状態でドラえもんの絵を描けって言われたら、見れる範囲で原作全部読んで、それから「ドラえもんとのび太が畳敷きののび太の部屋でどら焼き食ってるの描く」みたいな。表現法が変わっただけで、作品読んだ時どこが良かったか刺さったか、絵で表現してるだけっていうか。
身内に頼まれて知らないキャラの絵描けって言われた時も、原作は触れないでもwikiとか原作の画像とかでキャラ設定は一通りちゃんと調べてから描く。剣士なら剣くらいは持たせるし、魔女ならホウキにまたがらせるみたいな。
別に意識してたわけじゃないというか、そうしないと描けないんだが、結構面倒な描き方してるなって。で、多分そういう描き方ってかなり面倒くさくて、案外やってる人いないんだよな。
多分絵が上手い人はそこら辺の気合いの入れ方抜き方を知ってて、キャラを描く時、手ならしでいい意味で気合いれ過ぎず、クロッキー帳に次々描いていくみたいな感覚で行ける人もいると思うんだけど。なんか自分は文
章より絵の方が一枚一枚気合い入れなきゃ、みたいな意識があったみたいで……。なんでだろうね、これ。
むしろ文章より
絵のが手慣らしで次々描いていく、みたいな事が重要な場面も多いと思うのに。もちろん気合い入れるときは入れないといけないんだが、そこの気合いまでに考えず次々描く過程も必要というか。考えて描かなきゃいけないデッサンとかがあるのは知ってるんだけど、とにかく絵のクロッキーみたいな事が重要な場面ってのは、あまり文章ではないような気がする。
文章は逆に、結構ここに置く言葉とか文章リズムとかどれがいいんだろう? 自分の手札の中だとどれが最適だろう? みたいな事を割と毎回考えないと、文章が上手くならないというか。もちろんそれも無意識、慣れた部分はスラスラできるってこともあるだろうが、とにかく「練習として次々考えずやってくのも大事な絵」よりは、文章は「手抜きどころ含めどこをどうするか毎回考えないと上手くならん、みたいなとこがある、
終始堅苦しくて面倒クセェジャンルというか。
かといって文章も凝り固まってしまったら面白くないジャンルってのがまた面倒なんだけどさ。
ここだけの話、別に純文とか書くわけでもないのに、
台本形式や♡喘ぎだのライン風だの、そういうのウエメセで嫌ってる人らってあんま文章上手くないよな。いや覗いてみると
上手いは上手いけど、書きたいのがラノベとか二次創作小説なのに、娯楽小説なのに、堅苦しくてどこか面白くない事が多い。まあそんなだから実際あんま読まれないんだろうけど。
(そーやって軽い文章バカにしてる人らでウケてた記憶、一度もないし)昔小学校に特別授業に来た
絵の先生が、「使わない絵の具でもとりあえず全部パレットに出させる」って事やらせてて、当時はもったいねぇなあって思いながら従ったんだが、
今思うとアレは文章にも応用が利く授業だな。今いらねーと思う、内心バカにしてるような手札も一応全部並べてみて、その上で「ないなー」って思いながら自分がやりたい表現を使うのは、自分の感覚を固めていくってのは、自分で作る自信としても大事だ。
こんな事毎回やってたら普通に画材もったいなくね?って気持ちもあるが、やっぱり一回くらいはやっておく授業なんだろうね、素人でも。本格的にやる場合はデフォの作法なのかどうかまでは知らんが。毎回やるのは手間かかるけど、一回間違っててもいいから全部手札ならべてみる、みたいな体験ってやっぱ重要なんだろうな。
甘城ブリリアントパークでも主人公が、「もう強盗とかメチャクチャでもなんでもいいからテーマパーク運営資金を稼ぐ方法を挙げてけ」みたいな事言って、とにかくバカ解答含めて並べていって(当然アホな案は却下しながら)、まともな案に至るくだりがあったんだが、そうやって手札全部並べてからないなー思いつつ最適を選ぶって大事なときあるよな。
まあ脱線したが、何が言いたいかというと、Twitter(Ⅹ)でファンアート送ってた時大抵みんなとても喜んでたが、別にそこは「自創作のファンアートだから喜んでくれたんだな」以上のものがなかったが、
地味に他人が案外やらん事をしてたから、思ってたよりはアレは喜んでくれていたような気がするなって今更思って書いた。