ふと漫画のARIAのゲームの事を思い出した。原作付きのゲームは大抵アレな法則ってあるけどARIAのゲームは別に普通のファンアイテムゲーだったな。二つ出てたどっちのゲームもどのルート通っても展開が金太郎飴で同じなのはかったるかったけど。二作目の新米ウンディーネの女の子が主役の奴の方が話に違和感なくて良かったかな? 一周やるだけなら二作目の方は面白かった気がする。原作で二回目はなかった(はず)の雪虫の話が見れただけで二作目の蒼い惑星のエルシエロは価値があると思う。一作目の遠い記憶のミラージュは逆漕ぎのかっちょいい灯里ちゃんが見れただけで価値があると思う。灯里ちゃんの逆漕ぎなら最初からめちゃくちゃ上手く漕げたって設定カッコよくて好きだったのよね。ボーカル曲も良い。

スターシステム?というか自作マニアネタのやり方としては天野こずえ先生の作品って結構理想的よね。知ってる人は嬉しいけど知らなくてもまあ平気的な。読み切りの聖夜のイヴのモブ背景に夢空界の悲恋カップルと思われる二人組がいたり、刹那の夏の主人公が浪漫倶楽部の一人増えてる話でゲストとして出てたり。浪漫倶楽部の綾小路先輩がこいのぼりに対して空を泳ぐって言ってた表現をARIAでも子孫のウッディーが引き継いでたり(会社名も浪漫飛行社)。ウッディーの母ちゃんの顔が浪漫倶楽部の雛子ちゃんそっくりだったり。読み切りのアースもARIAより前の話だよね。ARIA&→浪漫倶楽部→読み切り短編集って遡っていったけどそういうのに後で気づいて面白かった。

魔法の郵便屋さんのショタとねーちゃんもARIAのアニメに出てたりするんだけど、別に関係は普通だった。当時原作読んでうへぇー!? って驚きつつも好きだったのに。いやアレを忠実にARIAで再現したとして、灯里ちゃん視点でどう処理しろというんだって話だが。やっぱりアニメで出すにはヤバかったのかな。なんかみんな結構そういう感覚普通な人多いよな。二次元の純愛なら好きなんだがな。ダメ?

天野こずえ先生の作品って世界観が地続きっぽいから基本的に不思議なことがありえる世界というか、浪漫倶楽部も別に裏山のパワースポットがなくなってもあの後も不思議な事でいっぱいなのだろうなあ。というか浪漫倶楽部本編でも特に裏山のパワースポット関係ない不思議なことが何度も起こってたから、それが不思議な話は終わらないって伏線みたいなもんなんだろうな。
2017/11/30(木) 22:14 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)