まあアレだ、↓で言ったやらかした?私の問題点はそのまま「物語れ、哀れな狂人達の為に」で主人公塵芥先生が自分で言ってるよな。
珠緒ちゃんに自分の作品をずっと好きだって言われた塵芥先生が
「ずっと。って何時までだよ!?一ヶ月程度か? 精々一年か? 良くて、三年か? 少なくとも、一生じゃない! 僕には、一生愛される作品なんて、書けないんだよ! 気休めを言うのは、止めてくれ!」って、トゥルーエンドルートだと叫ぶくだりがあって、これってやっぱある種の真実で、ほとんど誰も読まねーようなマイナー作家に、不用意に好きとか言っちゃうのって塵芥先生のような感情を引き起こさせるというか、やっぱ不用意に好きとか感想でも言っちゃいけないんだなと感じさせるというか。ここは初見でも上手く言えないが刺さったくだりだが、まあ内心で自分の行いを気づいてて耳が痛かったのかな。
まあ
マイナー作家に好きとか言うのはこのくらいの感情持たれるリスクはやっぱデカいわけで、ホント
不用意に好きとか言っちゃダメですね。あ、
繰り返すけどココ積極的に見てくれてる二名の事では決してないですよ。っていうか
あんたら二人とも流石に塵芥先生ほどの限界集落には生きてないでしょ。
単純に、
塵芥先生がコレ言うのはそもそも物語も終盤、完全に追い詰められちゃってるから、私ほど
変な方向の感銘受けてなくても、ここまでちゃんと読めばなんとなく文脈がわかるけど。なんつーか、
ホントに常にここの終盤塵芥みたいな、悪い意味で重くて終始独りよがりな感じがある作者って割といる。だってそんなような人、
カクヨムでレビュー書いてただけで3人くらい釣れちゃったもんな。(私はレビューを書くのが好きなだけで、釣る気はなかった)地獄かな???まあ、トドメ刺したらアレだけど、そういう
無駄に重たい人が心満たされないほどマイナーなのって、そういうとこだよな。
私は読書体験として、
今は取り出せないほど頭の奥深くへ忘れてても、自分の創作に自然と織り込んじゃうほど好きなままだった作品が何作もあったりするし。そういう押しつけがましいものって、そのままむき出しで読者に押し付けるには重くて、
「忘れてもいいよ」って作者がはっきり言葉で、或いは物語の優しさが遠まわしに言ってるような作品と比べたら、
重いから逆に忘れたくなっちゃう。早い話が
童話の北風と太陽だね。
冷たくて強引な北風は逆に旅人のコートを脱がせられなくて、太陽の熱さ温かさが脱がすに至るわけでしょ
。創作者が重いのはしょうがないとしても、重さ丸出しで北風になっちゃったらおしまいなんだよ。だって
それやっちゃったカクヨムの三名なんか、私作品褒めたのもすっかり忘れてもう嫌いだしね。
一人なんかウザさの限界突破してもうとっくにブロックしちゃったし。
つけたレビューも消しちゃった。
なんなら
他二名もそうしようかな、って思ってるし。別にもうホントに好きな人ら以外に嫌われたって、マジでどうでもいいし。
というか好きな人らでも、縁が切れたとして、怒るんじゃなくてそれまでに感謝できるくらいには大人にならないとダメだよね。言うのはタダだけど。ホントに忘れられるかもしれなくても、そこは太陽にならないと。というか普通に嫌われた方がいいや、こん
な重い割には無神経でカチンとくるような事言う人ら。
まあそういう隙自語はさておいても、
塵芥先生、永遠なんてないよ。だって現にあんたが壊れるキッカケになった六郎ちゃんの大ヒット作品すら、のちの時代でほとんど忘れられているって描写が、短編集完結編「物語る、哀れな狂人たちのために。」でもあったでしょ。しかし改めて本で確認しながらこの記事書いてて思うが、このタイトルセンスいいな、文字一個変えただけなのに。「物語る、」ね、なるほど。
まあそういう、
一生、永遠なんてないは有名作でも同じというか……。
一作しか受けなかった作家の事「一発屋」って揶揄したり自虐ったりするし、とにかく
栄子必衰、永遠なんてないのはマイナーでも有名でも同じだよ。
そういう事もわからないで、押しつけて重く依存するってのは、ささやかな、塵芥先生的最小単位、
一か月後には忘れるような読者すら失くすの。
まあ塵芥先生はここで、
一種の悟りの領域に入り、およそ常人には不可能な方法で唯一の読者を永遠にし、かつ別れるとかいう、書き出すと日本語でおk
な複雑な事を短編集でやらかしてるわけですが。まあなんというか……
作家の才能自体はあったんだろうねこの人。ただただ、
産まれる時代が良くなかっただけで。今はいいよね、
インターネットに転がして置けば、自分が死んでも誰かは見てくれるかもってそういうささやかなドリームは持つことが出来るし。
昔はそういう事すら無理だったのを思うと、例え競争率がそのせいで高まりまくっているとしても、やっぱ今の方がずっといいよ。