物語れ、哀れな狂人達の為にで塵芥先生的ずっと好きは、最低でも「一ヶ月程度」らしいけど、一ヶ月っていうと、私が花散峪山人考で落ち込んでいた日数に値するから最低ラインから既にかなり読者に過酷を迫ってるな……。って私個人の感覚でもちょっと思うな。

「精々一年」も、正直かなり長いほうじゃないかな。って思う。すごい面白い作品読んだとしても、これだけたくさんの作品があったら、下手すっと次の日には忘れているレベル。

「良くて、三年」も、私が1個のジャンルに二次同人とか含めてハマる年数の平均だし(他の人も、このくらいの年数が平均らしい)、ソシャゲに飽きるタイミングも大抵このくらいの年数。

比較的見た作品を覚えてる方だと思ってる私も、好きな作品でも結構忘れている事が多いというか、ちょうど最近二十年単位でほとんど忘れていたグルグルを思い出したところだし……。

で、塵芥的理想の「一生愛される作品」、これは現代で言えばアンパンマン、ドラえもん、クレしんクラスがそれに当たるのかな……。これはもう、作家の技術とかそういうの超越したところにないかな?

塵芥先生の職業的には↑のアニメ作品(原作は絵本とか漫画だったりするが、まあほぼアニメ作品だろう今は)より、多分ずっと読まれ続ける名作文学が理想になるのかな……。太宰とかか森鴎外とか夏目漱石とか宮沢賢治とか、まあなんでもいいけど、ずっと残ってるし、時に教科書にも載るような古典文学小説。でもやっぱそれは六郎ちゃんでも出来なかった事なんだよな……。

オチの更に後、みたいな短編集まで読んだ上での作家別評価だと、一過性ヒットをしても忘れられかけている六郎ちゃんと、誰かを動かして自費出版にまで至った隠れたドラマがある塵芥先生なら、塵芥先生の方が密かに熱いんじゃなかろうか?

ちょっとウケようが、最終的に忘れ去られるのは平等だ、みたいな公平で諸行無常を感じる、少し無慈悲で切ない短編集の結末はやっぱり好きだな。

まあ何が言いたいかというと、やっぱ塵芥先生は一口にただいい人と言える人ではないというか、読者視点だと普通に重いなって。いや、気持ちはわかるんだけど……。引くより共感が勝てる辺り、良キャラなんだけど。灰色工房ボーイズの中では多分ギルさん、ブラッ君さんと並んでかなり好きな方なんだと思うけど……。(ボーイズ)(三十路以上×2+最終的に老人1)(心はいつまでも良くも悪くもボーイズ感)
2024/09/16(月) 09:21 作品感想 PERMALINK COM(0)
ニケククみたいな純愛かつダブル主人公男女で恋も含めた大冒険、いっぱいありそうで探すと案外ないな……ってふと気づくやつ。まあ言っちゃあなんだが、コレの特化をもとめるといらん枝葉多い。違うものとしては面白いけど。セカイ系冒険とでもいおうか、あくまで君と僕、二人の物語みたいに冒険ものだとなりにくいんだろうな。まあ大抵、ストーリー規模と英雄度がどんどん広がっていってしまうしな……。あとこういうやつは悲恋率とかも高めな気がする。

逆になんでニケとククリは過剰な英雄となりすぎないのか?(のちの時代だと一応伝説の勇者的に語られているっぽいが……)2だとそんなに広まっていない、って感じになってるけど、なんかもっと意図的に抑えられてる感じはあるな。

考えてみると、なんかやり遂げた後に王様のところに戻ったりなんだり、みたいなのに真っ向から反抗してたりする(するに決まっている)構図になってんだな、グルグル。何故なら王家が愛するヒロインの一族の敵みたいなもんだから。王家の依頼、要望は受けつつ、見返りは拒絶するみたいになってるんだな。

まあ2冒頭だと報奨金もらって学校にもいって、みたいな感じに世話にはなってるけど、1の冒険中は拒絶のが目立つよな。コメディだから、ってのもあるんだろうけど、やっぱり伝説みたいに過剰に祭り上げられて英雄視される、みたいな成り上がり?的なやつは意図的に避けられている漫画のような気がする。なんだかんだと勇者だし、ニケはリーダーとしてすごく素質もあるんだけど。なんか例えるとGANTZとかめ組の大吾的な、世界的ヒーローになるまでの話ではないよな。

まあいつものgdgd文で、説明が難しいんだけど。

魔王学校がヒロとリュウナの物語で終われたのも、絶海の孤島が舞台で、あくまで学生範囲の話だから……というのはありそう。まあ出かけずとも本当の強敵魔王はそばに……みたいな構成の勝利もあるのかな。

まあ冒険ものなんだからそりゃ色々盛りだくさんの方がいいよね、ってのはわかるんだが。こういうのがよっぽど描きたいのでなければ、二人の物語範囲に収める意味って正直全くないと思うし……。
2024/09/16(月) 08:16 グルグル考察 PERMALINK COM(0)
復讐は何も生まない、もはやインターネットで擦られまくって大根おろし状態になってそうだが。なんというかアレは花散峪山人考やモンテ・クリスト伯(巌窟王)みたく、しっかり完走はさせた上で、読んだ読者が自主的に「もっと楽しい生き方はなかったのか?」とか「でもこれはそうやって生きる以外出来なかったんだろうなぁ」とか色々考えるのがベストな流れだと個人的には思う表現。

本編で、関係のないキャラが説教垂れるのは一番野暮でつまらない展開だなぁ、と個人的には思う。

冒頭で言ったベストな流れとは正反対だけど、黄昏街の殺さない暗殺者は、ヒロインとの触れ合いを通して自分で生き方を考える、って流れがすごく良かったな。元々そういうのに向いていないってことはちゃんとストーリーで語られていたし。復讐、が前向きな意味で回収されるのも良かった。

この「復讐はなにも生まない」の問題は、初志貫徹するかしないか、というよりは、やっぱり第三者が全然根っこがない、グルグル風に言うと「意味があるようでまったくない、勢いだけのセリフ」をエラソーに吐きがちが一番の問題なのかな。と、それぞれ正反対の展開になる個人的良作、名作を比較して、ふと思った。

黄昏街は青臭さ漂うラノベだけど、コレが素直に好きになれたのは、やっぱりその青臭さに正面からぶつかった真摯さ(綺麗ごと、って点にはちゃんと本編でも触れている)、あくまで主人公が誰に言われるでも強制されるでもなく、自分の意志で生き方を変えた点にあると思う。あと、そうなるまでの過程がキチンと出来ていた。

作者が描きたいテーマによって、復讐を完走するのかしないのかが分岐するのは、好みはあるだろうけど私はアリなんだと思う。おそらく過程がまずかったり、キャラがくだらんアホに説教されるのがダメ。

原作スレイヤーズ第二部でリナも言ってたよね、終盤のとあるキャラに対して「あたしが彼の行動になんか言える義理はない、何故ならあたしも人を殺したことがあるからだ」的な事をさ。主人公だからなんでも説教垂れていいとは限らない。

復讐ではなくとも、ギャグ100%~どこかコメディチックな作品のが、相手の生き方に寄り添うみたいな展開になりがちだよな。魔王学校なら(自業自得だが)好きな人に振り向いてもらえない女を見て、もう一人の私だとメインヒロインのリュウナが同情したり、奇面組で恥かいた豪くんを見て、友達の主人公零くん達が一緒に恥かいてくれたり。スレイヤーズも表面上はコミカルだけど、ガウリイにこれといったキャラクター的ストーリーはなく(あるけど裏設定的で語られず)、リナに寄り添う男だし。ニケもそうだよね。

笑いに混ぜて、現実的に難しい事をコメディなら出来るってのもあるんだろうけど……。真面目な話だと、やっぱ相手に寄り添うような生き方は、キャラも作者も限界迎えちゃう事が多い気がするな。狙ってるにせよ狙ってないにせよ。だから、相手に尽くすような、でなくても同情含め理解を示すような話が見たいなら、実はシリアスな話は取れ高が悪いような気がする。例によって体感で、統計取ったわけじゃないけど。
2024/09/16(月) 05:54 雑記 PERMALINK COM(0)