復讐は何も生まない、もはやインターネットで擦られまくって大根おろし状態になってそうだが。なんというかアレは花散峪山人考やモンテ・クリスト伯(巌窟王)みたく、しっかり完走はさせた上で、読んだ読者が自主的に「もっと楽しい生き方はなかったのか?」とか「でもこれはそうやって生きる以外出来なかったんだろうなぁ」とか色々考えるのがベストな流れだと個人的には思う表現。

本編で、関係のないキャラが説教垂れるのは一番野暮でつまらない展開だなぁ、と個人的には思う。

冒頭で言ったベストな流れとは正反対だけど、黄昏街の殺さない暗殺者は、ヒロインとの触れ合いを通して自分で生き方を考える、って流れがすごく良かったな。元々そういうのに向いていないってことはちゃんとストーリーで語られていたし。復讐、が前向きな意味で回収されるのも良かった。

この「復讐はなにも生まない」の問題は、初志貫徹するかしないか、というよりは、やっぱり第三者が全然根っこがない、グルグル風に言うと「意味があるようでまったくない、勢いだけのセリフ」をエラソーに吐きがちが一番の問題なのかな。と、それぞれ正反対の展開になる個人的良作、名作を比較して、ふと思った。

黄昏街は青臭さ漂うラノベだけど、コレが素直に好きになれたのは、やっぱりその青臭さに正面からぶつかった真摯さ(綺麗ごと、って点にはちゃんと本編でも触れている)、あくまで主人公が誰に言われるでも強制されるでもなく、自分の意志で生き方を変えた点にあると思う。あと、そうなるまでの過程がキチンと出来ていた。

作者が描きたいテーマによって、復讐を完走するのかしないのかが分岐するのは、好みはあるだろうけど私はアリなんだと思う。おそらく過程がまずかったり、キャラがくだらんアホに説教されるのがダメ。

原作スレイヤーズ第二部でリナも言ってたよね、終盤のとあるキャラに対して「あたしが彼の行動になんか言える義理はない、何故ならあたしも人を殺したことがあるからだ」的な事をさ。主人公だからなんでも説教垂れていいとは限らない。

復讐ではなくとも、ギャグ100%~どこかコメディチックな作品のが、相手の生き方に寄り添うみたいな展開になりがちだよな。魔王学校なら(自業自得だが)好きな人に振り向いてもらえない女を見て、もう一人の私だとメインヒロインのリュウナが同情したり、奇面組で恥かいた豪くんを見て、友達の主人公零くん達が一緒に恥かいてくれたり。スレイヤーズも表面上はコミカルだけど、ガウリイにこれといったキャラクター的ストーリーはなく(あるけど裏設定的で語られず)、リナに寄り添う男だし。ニケもそうだよね。

笑いに混ぜて、現実的に難しい事をコメディなら出来るってのもあるんだろうけど……。真面目な話だと、やっぱ相手に寄り添うような生き方は、キャラも作者も限界迎えちゃう事が多い気がするな。狙ってるにせよ狙ってないにせよ。だから、相手に尽くすような、でなくても同情含め理解を示すような話が見たいなら、実はシリアスな話は取れ高が悪いような気がする。例によって体感で、統計取ったわけじゃないけど。
2024/09/16(月) 05:54 雑記 PERMALINK COM(0)