私は何度も何度も、
この記事でもニケの献身性と縛らなさは異常だ、って言ったけど、
考えてみると、アニメ三期でも強化されている、闇の中に閉じ込められているククリを光の下に引っ張り出す勇者様である、って立ち位置だから、役割的にやっぱそういう事が出来ないのかも。
ニケは
無印で何度でもククリを救い出すわけだけど、アレもやっぱ最初からそう(ククリを閉じ込められた状況から引っ張り出す光の勇者)ってのを一生表現してる感じっていうか。
やっぱり色んな意味でアニメ三期の出会い改変と最終回オリジナル要素は優れてるなと感じる。
原作からそう、というのをギャグに混ぜて非常に美しく表現している。そこまで気づける人が多分そんなにいないのが悲しいとこだが。
そういう役割だから縛り付けるような愛情表現が一生出来ないキャラクターっていうかな。グルグル2でもし表現するとしたらそこら辺のニケの独占欲的部分だったような気もするんだけど、
いや無印に比べたら「二人きりになりたい」とか「さらってしまいたい」とか表現されてると思うのだが、あまりに裏テーマ過ぎるんだよな。(私の考えすぎかも、って思うくらいに)多分ズックニィのニケは、ここで言ってるように、そこが控えめに出てると思うんだけどね。
メタ的な事情はそれ
(閉じ込められているお姫様を光の下へ連れ出すキャラクターなので、縛るという事が出来ないし、花の国編でククリを閉じ込めるレイドを批判もする)なんだと思うけど、
そういうオタクくさい分解じゃなくて、「ニケの気持ちという視点で」、ククリを縛り付けたり独占欲を出せないのは何故か?ってのがわからんのでずっとモヤモヤしている。
大事だから手を出せないのか、そもそもそういう発想がないのか、そういう黒い自分をカッコ悪いと思うから隠すのか。
なんかしらの恋愛要素がある作品なら普通語られる事が何故かニケだと全然語られないからなぁ……
。例えば覚悟のススメなら、序盤でいきなり「恋は極力秘めるもの」って本人のポリシーが語られるし、その後も世界を救う為に色恋なんて、みたいな葛藤があって、4、5巻とそこの信念・葛藤と合わせて色々あるわけだけど、ニケだとそういうのが全くないから……。これ、そもそも明かされるのかなぁ?「勇者様の半分はわからない」だからなぁ……。
そもそも
明かすか明かさないか、は置いといて、衛藤先生はニケが何故そういう事をしないのか知ってるのだろうか?そういう領域に入ってるんだよな……。
もう衛藤先生すらわからなくてここまでグルグルの恋は延長戦状態になってしまっているのでは?説すら私の中であるよ。
アニメ版が美しい救いを最終話で描いてくれたのは素晴らしいが、私は原作ニケとククリでもあのささやかで、でも好きとか結婚よりも大切な、瞬間、心重なり合った様子が見たいんだがなぁ……。
子どもの頃読んだ時も、最終回がどうもスッキリしなかった覚えがあるんだけどさ……。二十年越し、アニメ三期最終回のエピローグで、
他人は知らんが私が当時求めていたのは多分コレなんだなぁ、って思った。
ただアニメも、アレは原作の役割の強調と、恋物語である事を重視してニケのキャラクターもそこを重視してるから行けた感じだから、原作でアレはなかなか難しいんだろうなぁ……。
私は
とっくに年齢を追い越してしまったかつてお兄さんとお姉さんだったカップルが、本当に通じ合う瞬間を見届けられるのかな……とか考えると夜中マジで泣きそうなんだ。
アニメ三期はおそらく私が無意識に一番求めていたものを見せてくれた反面、原作と比較して、「あ、コレ原作じゃ絶対無理……」と気づかせてもしまった罪な作品なんだ……。
アニメ三期最終回のエピローグのニケとククリとグルグル2の1巻のニケとククリを比較すると、全く繋がらないifなのがすげぇわかってしまうというか……。
私は愛してるとか好きを言えなんて言ってない。ましてや結婚やスケベなんて……。どうしてアニメ三期最終回みたいなささやかなものに、原作は全く繋がらないんだ……。多分原作ニケとククリのもどかしくてややっこしい切なさをわかってて変えてくれたんだろうね、アニメ……。