グルグル1初期とグルグル2最新の方を読み比べると、やっぱニケもククリもむしろ挙動が幼くなってるよな感。

でもコレ劣化とか退化じゃなくて多分わざとだな……。1がわかりやすい二人の成長物語かつ、大人になったら捨てないといけないライナスの毛布(グルグルの魔法)で戦いながら、最後それとお別れするようなお話なら、2はお別れしたはずのライナスの毛布(グルグルの魔法)を引っ張り出してずっと子どもでいるようなお話だから。ストーリーが1よりかはなんか曖昧な感じで、19巻までずっとニケとククリがイチャイチャ遊んでいるだけな気さえするのもやっぱりわざとかな……。

やっぱりこういうテーマの違いも賛否分かれる点にはなってしまうのかな……? 私はなんなら2のが好きなくらいだけど、やっぱり無印って、冒険を通した少年少女の成長・恋物語を描いたジュブナイルとして良く出来てるんだよな。

というか無印のククリちゃんが大人になる、ならないの話も正直今見てもよくわからないな。この作品における大人の意味がなんなのか。それこそ私が昨日言った初潮でもあればネタとしてわかりやすいけど。原作終盤、ジタリの遺跡で、グルグルが使えない!ってなった時、なんで大人になった基準になってたのかよくわからん。ここは普通に山場のために大人になっちゃったかも!? と疑心暗鬼になっていただけと思った方がいいのかな? 無印最終話でグルグルが使えないのは、「恋をして成就して、大人になってしまったから」って事だろうけど。

わかりやすい王道成長物語をやりきっちゃった無印の話の後の2ってなると、テーマは反対にするしかないよねみたいな。だから今度はどっちかというとニケもククリも幼い感じになる、みたいな……。だからと言って1の冒険を作者とニケククが忘れたんじゃなくて、経験として生きた上で二人の関係も変わっているし、熟練冒険者としての貫禄もあるから、むしろ1より大人っぽい部分も普通に出て来るし、そこら辺の多面性がちょっと初見でわかりにくいといえばわかりにくい。「ニケが全然ナンパしなくなってる」ってのも作中で誰も指摘しねぇ、行動で見せる形だから何気にすげぇわかりにくいし……そこを埋めるような形でニケのボケが加速してる上、そのギャグが普通に面白いのも止まって考える暇を与えないというか……。

「子供の時間は終わらないよ!」って2でククリが言うけど、第一話で学校の先生が言ってたように、「大人になっても子どものまま何かを成す」って話なんだろうね、2は。それこそずっと少年誌で描き続けている衛藤先生の、自分自身に対する問いかけにも思えるテーマって感じ。

こうして書き出してみると、グルグル2の路線、たくさんある続編作品の中でも何気に他に開拓者、前任者がほとんどいない路線じゃないかなぁ。って思う。続編ってなると前作主人公達は大人になって、その子どもが主人公になったり(デスティニー2とか)、でなくてももう書く物語がないから、主人公は他にバトンタッチする(空の軌跡シリーズみたいな)って形式が王道だし。2のわかりにくさはわざとやってる部分もあると思うけど、単純にこのテーマは地味に開拓者があまりいなくて、読者も読むのが初めてに近いから文脈がわかんないってのはありそう。少なくとも私は、2を一周する程度では、イマイチ咀嚼しきれていなかった。「大人になっても子どものまま何かを成す」ってのは1話でちゃんと言ってるにも関わらず。

なんなら衛藤先生自身も、2の根っこのテーマ「子どものまま、大人になる」に関しては熟練作家としてのノウハウがあまり役立たない感じに、結構手探りなんじゃないか? とすら思う。その辺の手探りと、敢えてやってる部分がおそらく混在してるのも、やっぱわかりにくさが出てるよな。衛藤先生は元々、何もかもハッキリ意味を持たせたり、明確にするのは好きじゃないと言ってたのは知ってるが、そういう作家の作風や姿勢だけではないよな、2のわかりにくさ。

わかりやすい成長劇も使えないが、かといって退化、劣化というわけでもないこの路線、難しいと思うけど作家の一つの集大成としても是非綺麗に描き切ってほしいなぁ……とそろそろ終わりが見えてきた今、とても思う。今度こそニケククには結ばれて口チューくらいは行ってほしいしな!!!!!!!(結局そこに至ってしまう恋愛脳)

普通にサラサラッと読む分には楽しいし別に問題ない(ギャグもクスクス笑えるし、ニケククが1より甘酸っぱいことやってんなぁ認識で十分楽しめてしまう)から、なんならあんま考えなくてもいいような話なのかもしれんが、テーマとしてはやっぱり色んな意味で奥深いと思うな、グルグル2。

てかこのグルグル2の込み入った挑戦、20年以上の付き合いだという担当編集さんは一番身近で読んでてわかっているのか? 「FAXでネームをいただいていた頃は、最終日は毎月徹夜でしたが、数時間おきに数ページ送られてくるネームが毎回、予測不能な展開で、大変でしたが楽しい時間でした。「グルグル」は、ゆっくり読むと、また違った面白さが出てくると思います。ぜひ試してみてください!」って30周年コメントで言ってたのを見ると、やっぱり戸惑いはありつつもちゃんと理解はしてる感じ……。担当さんってすごいなぁ。

考えて見るとグルグル無印11巻後書きで言ってた「データ化できないもの…よくわからないもの…僕はそもそもそういうのを描きたいのである!」って言葉、なんか村上春樹にも通じるよね。いや衛藤先生は村上春樹フォロワーじゃないと思うが、行きたい道は近いところにあると思う。

何が言いたいかというと、衛藤先生の本当にやりたい事って、多分ギャグマンガ的な大衆エンタメじゃなくて、純文学とか芸術、アートに近いよねって。元々美大に通ってて、そこで馴染めなかったっていうけど、そんな事は関係ないくらいの根っこのところで芸術家、創作者な人なんだと思った。

「よくわからないものを描きたい」、あんまり一般的な漫画家さんが言う事じゃないよな。普通なら「感動させたい」とか「笑わせたい」とか「あっと驚かせたい」とか……。自分の好きなもの前提だとしても、「キャラのドラマを描きたい」とか「エロい女体を描きたい」とか「とにかく自分にとって面白いものを描きたい」とか……とにかく、何故描くのか?って言ったら漫画家さんは何かしら、わかりやすい目標がある事の方が多いんじゃないかなって。逆に好んで漫画の絵に集中したくて、或いは仕事として割り切って作画屋に徹する人もいるかもしれないが、それはそれでわかりやすいよね。それこそばらスィーさんが自分で言ってた「子どもが描ければそれでいいんだ」くらいの事でも、わかりやすさがある事が多いんじゃないかなって。それも偏見かもしれないけど、私が衛藤先生と似た人で真っ先に浮かんだのは漫画家じゃなくて純文の村上春樹だし、その感覚はそこまで間違っていないと思う。

ただ幸か不幸か、この人はギャグエンタメにあまりにも向き過ぎていた。言っちゃぁなんだが、私はむしろそっちのが好き、(おそらく離れていた期間も無意識に求めちゃってた程度には好き)なんだが、本当に衛藤先生がやりたいこと以上に、ギャグが向いてしまっていた。やりたい事も上手いけど、そっちがかすむくらいには。

だから私みたいにどっぷりタイプ~そこまでキモくなくても衛藤先生の綺麗な恋やファンタジーが好きなタイプと、作家芸人ギャグを求める人とでファンも二分してしまったし、作家として大ヒットも体験した。そこは多分衛藤先生を助けもすれば、葛藤もさせた部分ではあると思う。

或いはギャグすらも「よくわからないもの、データ化出来ないものを描きたい」という目標の為の手法に過ぎなかったのかもしれんが、とにかくそっちのが作家としての名刺になってるよね。30周年の投票企画も、名場面集じゃなくてギャグ総選挙だったし……。普通に名場面集投票も見たいが、あの作風だとムズいか……。

まあ全部邪推や妄言に過ぎないかもしれないけど。何はともあれ、完全ギャグの舞勇伝キタキタ路線を貫かないでくれて、私としては本当に心が助かった……。アニメも「これはボーイミーツガールだ」を強化する路線で本当に良かった。何十年もオタク続けてたら、アカン続編やらメディアミックスで嫌な想いをしたり、好きな作家がしっくりこなくなった。なんて当たり前の事だけど、衛藤先生やグルグルで体験したら本当に一ヶ月くらいは泣いて暮らしてたかもしれない……。逆に合い過ぎて、常にしゃぶってないと落ち着かないおしゃぶりと化してる今も結構困ってるけど……。

しかし……きっとコレを求めて下手な創作してたんだなって特定出来たのは快挙かもしれないけど、手法や表現のほとんど全てがちょっと参考に出来る感じじゃないんだよな……。
2024/07/03(水) 02:32 作品感想 PERMALINK COM(0)