この世で多分ここでしかほざいてない、私と同類しか理解は不可能な怪文書。

確かに某カピ氏の言うように、花散峪山人考の冬矢とグルグルのニケは、全く作風も描き方もテーマも違うのに、その本質は同じと言えると思う。

同類以外に全く理解してもらえないと思うが、(というかそもそもグルグルと花散を両方知ってる人は多分ほぼいないと思うが)、冬矢とニケは「たった一人の女に捧げる献身的な愛」「そしてそれが誰に伝わらなくてもいい」という点では同じだと思う。良いも悪いも男の愛っていうか。

多分どちらも「別にわかる人だけわかってくれればいい」って感じに描かれた作品、って事も多分魂は近い。方向性というか作品の空気は極限のマイナスの花散、無限のネアカプラスのグルグルで全く違うんだけど。

どっちも「男の人にしか描けないものだな」って感じるある種の強烈さとか、「女でコレが死ぬほど刺さって抜けなくなるタイプはいる(自己紹介)」とか、まあとにかくなんもかも違うのに何故か性質が似ている。

まあ流石にグルグルを楽しんでいる人に「花散も刺さるよ」などと渡したらキチ〇イの挙動だけど、花散とグルグルというか、冬矢とニケが同じような刺さり方する人は少数いる。少なくともこの世に二名はいる。

まあ全く違う部分としては、冬矢は好きな女が死んだら壊れてイカレて破滅したけど、ニケは好きな女が死んだと思っても泣かない(原作は)打開策を探す点は全然違うな。そもそも世界観が「幻想ものだが、突き付けられるものは何処までも辛い現実」である花散と、「どこまでも優しいメルヘン」であるグルグルじゃあそら色々違うと言われればそうだが。

世界観は置いといても、同じような場面で取る挙動が全然違うんだが、違うんだが、なんか強情にもほどがあるって意味だと何故か似てるように感じるの、私だけかな。我ながら言葉が下手だと思うんだけど、北極と南極って全然対極の場所にあるのに、どっちもクッソ寒いじゃん。なんかそういう感じ。極限まで反対だと何故か似通ってくる。

ニケが原作でククリが死んだと思っても泣かないの、別に冷たいんじゃなくて「極限までアイツは陽キャ」とか「作者の中で、シリアスの時には全く泣かない、ククリの為の強いヒーロー」として考えられているとか、「本人が言ってるようにククリが死ぬわけないとただ純粋に信じていた」とかそういうちゃんとした理由があるとは思うんだが。とにかく、あそこで泣かない男として描かれるの、復讐はただの独りよがりだとわかって最後までやらかす冬矢とやっぱ何かが近く感じる。男の意地というか。

っていうかその「ククリが死んだと思っても泣かないニケ」に不満を抱いている同じ女子ファンをネットでみかけたんだけど、多分何か意図はあるんだろうけど、好きな女が死んだと思っても泣かない事に関して普通に女子のヒンシュク買っちまうのって、もろ男の意地じゃね?

でもククリが死んだと思っても泣かない原作ニケを叩くのは簡単だけど、そんな原作ニケも、アラハビカ編終盤でジュジュに冗談で「ククリちゃんはもうニケくんの事を考える部分(ハート)はいらない」って言われた時は(ギャグ顔でだけど)泣いてるんですよ。好きな女が死んだと思っても死ぬわけないって信じる男が、好きな女に「お前なんかいらない」って言われた(と思い込んだ)ら泣いてるの萌えませんか?

確かにアニメ版のニケがククリが死んだと思って泣くシーンは良改変だけど、同時にここのジュジュのジョークのくだりは、おそらく尺の問題でアニメはカットされちゃってるんですよ……さて、原作とアニメ、どっちの解釈が良いかな???

私もククリちゃんが死んだと思ったら普通に泣いて欲しいとは思う反面、原作の泣かない、ククリが死ぬわけないって信じてたニケのがらしいといえばらしいようにも思うんだよな。恋は人を変えてしまうものなので、普段は絶対諦めないのにあそこで泣いてしまうアニメニケも、キャラ表現の正解の一つだとは思うけど。まあもうここら辺はどっちがいいとか正解というより、完全に好みだね。
2024/07/06(土) 19:53 グルグル考察 PERMALINK COM(0)