魔法陣グルグルがRPGパロ作品的要素があるのは、読めばわかる事ではある。衛藤ヒロユキ先生がそもそもグルグルの前にドラクエ4コマを描いていたし、グルグル内でもドラクエを意識したギャグがいっぱい入ってる。有名な、ゲームのウィンドウでのツッコミやキャラの挙動説明なんかも、そもそもはドラクエネタのバトル中のログのパロである。ザムディンも多分、ドラクエの勇者だけが使える魔法「ギガデイン」とか「ライデイン」をパロッたネタなわけだね。これも多分本当にドラクエを全く知らないと100%面白さがわからないギャグというか、ドラクエをちょっとでもかじった事がある人達は、勇者だけが使えるじすごい呪文に聞こえる響きなのに、「ただのザザのおじいちゃんの名前」ってのが面白い部分なわけだね。

グルグル2でもニケがひのきのぼうで戦ったり、ドラクエパロでいっぱいの作品なんだけど、多分一番元ネタのドラクエと違ってる部分って「勇者」の定義だと思うんだよね。

私もドラクエはふわっと7までしか知らないんで、それ以降の話はわからないんだけど、とりあえずグルグル無印がやってた辺りまでに出てた7辺りまでのドラクエの勇者は「職業」だよね。それで5までは勇者って、頑なに「選ばれし者、血筋」の奴しかなれないんだよね。

ここもソースがドラクエ大辞典でちょっと弱いんだけど、それを「ダイの大冒険」の「みんな勇者」っていう勇者解釈が和らげて、6から転職でキャラクターは誰でも「勇者」になれるようになったらしい。堀井雄二さんは元々ドラクエの公式メディアミックスが好きな人で、ダイの大冒険もとても気に入っているし、ダイ大から本家やモンスターズに逆輸入された特技がいくつもあるので、多分本当なんだと思うけど。

文字数の問題でちょっと名前が変わってるけど、本家ドラクエやモンスターズに出てきた「ギガスラッシュ」はダイの大冒険のダイが使う、アバンとバランの最強技を合わせた「ギガストラッシュ」が元ネタだし、メドローアも初出はダイ大の方。だからただ状況証拠を合わせても、6から勇者定義がやわらいだのは、ダイの大冒険が堀井さんの頑なな勇者イメージを和らげた、って事は多分間違いないと思う。それでもドラクエ6、7の主人公は、ストーリー的には主人公的運命からは逃げられないけれど。それはダイ大のダイも同じ。

とにかく、そのくらい本家の勇者定義がやわらいでも、私が知ってる7までのドラクエの勇者ってのは頑なに「職業、血筋含め選ばれしもの」。

ここでグルグルに戻るんだけど、グルグルの勇者って言うのは、ネコジタ谷でガタリさんが説明するように、ただの「称号」で「肩書き」。

そしてグルグルの勇者であるニケは、職業としてはただの「盗賊」で、血筋も「普通の村人」。2の情報やニケの認識によると、グルグルの世界の歴代勇者達には、本家ドラクエ的な、血筋勇者はいるっぽいんだけど、今回言いたいこととは外れてるのでそこは割愛で。

とにかくグルグルの世界の勇者は血筋や職業は関係ない称号であるらしいんだけど、なのにどうしてニケが勇者だって認識が読者にあるのか? って言うと、ずっとニケの周囲の人が、特にククリがニケを「勇者様」って呼び続けるから。
でしかないんだよね。

ここが本当衛藤先生の巧みな言葉での魔法なんだけど、周囲とククリちゃんが勇者扱いしなかったら、全然ニケに勇者らしい部分ってない。無印2話で変な剣をランヤカンヤの箱から引っ張り出すのはいかにも勇者らしいんだけど、多分コレも罠というか、箱から不思議な剣を取り出すことすら「周囲とククリが勇者扱いするからニケは勇者」って演出の延長に過ぎないんじゃないかなって。

で、結局どうして頑なに、根幹の設定からニケが選ばれし勇者であることはこっそりと否定され続けるのか。それは……ニケはククリちゃんだけの勇者様で王子様でなくてはならないから。

アラハビカ編終盤、ミュージカルのくだりで、プリンセスククリはニケを「勇者様はククリの王子さま♡」(アニメでの台詞は「勇者さまはあたしの王子様なの」)と言う。アラハビカ攻防戦があまりに突拍子もないから、読み手はついついここを「ただの漫画の演出と思い込んでしまう」けど、ここは本当にグルグルの根幹にかかわる重要な台詞なんだよね。アニメで台詞が舞台上の気取った言い回しから変えられているのは、多分そこがあまりにもわかりにくいから、「一人の女の子の素朴で切実な願望」のニュアンスをわかりやすくするための変更だと思う。

だから本当に、グルグル3期アニメって読者すらはっきりと気づけていない人が大半な核心部分まで理解しきった人が作ってるんじゃないかな。それは本当にわかりにくい愛情で、原作者の衛藤先生がグルグルに込める想いとそっくりで、うっすらともそこがわからない人にはグルグルアニメ三期って「ただ駆け足なアニメ」でしかないんだよね。その愛情がなんとなくでもわかった人は、三期アニメを尺以外は最高!って評価に持ってこれるんだけど。

なんかもう、愛情深いアニメ過ぎて作品としての宿命も原作とそっくりなんて悲し過ぎるわ……。いくら素敵なアニメにしたって、そこまで同じにしなくたっていいじゃん……。この文章書きながらリアルに泣いてるよ……。

アニメ三期グルグルで本当に惜しい部分は、おそらく尺の問題でククリちゃんの目覚めた後の重要なモノローグが省かれてしまっている事。

原作第91章、アラハビカ編を締めくくるククリちゃんのモノローグを引用すると、


「ねえ 勇者様 ククリ ときどき寝てるのと起きてるのとどっちが夢なのかわからなくなるの これは夢? これはホント? どっちがいいかなぁ勇者様?」


とある。ここもなんとなくの綺麗なポエムで読み流してしまうけど、かなり重要な部分なんだよね。

アラハビカ攻防戦は、ククリちゃんの現実にいる王子様とお友達が一緒になってやった、現実に起きた事なんだけど、ククリちゃん視点だと、アラハビカ攻防戦は夢なんだよね。そこがまた、一見ニケ王子とククリ王子が最高に通じ合ったようで、すれ違いになっていていて切ない部分なんだけど。とにかくここのモノローグは、ククリちゃんは寝てても起きてても最高の王子様で勇者様がそばにいるから、どっちが夢なのかホントなのかわからない、っていう、最高のノロケで最高の幸せを語っている、アラハビカ編単体の結論としても、グルグルの根幹としても重要な部分なんだよね。

この寝てるのと起きてるのと~というククリのモノローグは、アニメでは次回予告の時に語られているが、流石に演出としてはさりげなさすぎて、わかりにくい原作の解法になるには厳しい。多分尺があったらちゃんと本編で強調したかったんだと思う。しっかし完全に削ってもいいようなとこなのに、よくこんな荒業でぶち込んだな……。また次回予告のRPGマップで、パンフォスの塔が街に変わる演出が泣かせるんだよな……。

本当に、グルグルアニメ三期は、ただの仕事で作るものとしては有り余るくらい愛情深すぎる作品だと思う。原作への愛はあふれ過ぎるほどあった。ただ、本当に、尺だけがなかった。そこが本当に悲しいし残念でならないし、もったいない。

もしもグルグルアニメ三期に50話くらいの尺があったなら、あまりにも込み入っていてわかりにくい原作の愛情物語の神髄を、アニメを見るだけで(なんとなくだったとしてもかなりわかりやすく)理解出来る、メディアミックスの理想体で完成系になれるはずだった。でもおそらく時代的に、一作品に24話以上の尺を取る事は出来なかった。多分、24話の枠を確保するのだって今の時代大変だったんじゃないかなって思う。

それでもアニメ三期と原作の真意に気づけてしまった今、アニメが本当にただ尺だけの問題で、原作と同じ、わかる人にしかわからない作品という悲しい宿命部分まで模倣するにとどまってしまった事が本当に残念でならない。

ネコジタ谷で、ガタリさんの説明で、ニケは職業的な意味での勇者じゃない、本当にニケが勇者でも、職業自体は別にあるってククリちゃんが聞いた時、原作ではククリちゃんは目を丸くして、ガタリさんの肩を掴んで「え~~っ勇者様は勇者なのよぜったい」可愛く驚いてて、近くでニケも「オレはいったい何のレベル2なんだ~」って言ってるんだけど。

アニメだとここはコミカルながらもっと過激に、ククリちゃんがガタリさんの胸倉つかんで、駄々こねまくる女児のニュアンスで「ええ~勇者様は勇者さまなのよ絶対!!」って言ってるんだよね。その上ニケまでガタリさんにつかみかかって「オレはいったい何のレベル2なんだ~」って喚き散らしてるんだよね。

まあアニメ映えの問題だろ、って言われるだろうし、多分そういうニュアンスも多めに含むけど、やっぱりここも、原作があまりにもわかりにくいから、笑えるコミカルに混ぜる形で、ククリちゃんの揺るぎない願望を強調してるんだと思う。「ニケは絶対にククリだけの勇者様でなくてはならない物語」だから。

やっぱりグルグル無印最終話の「これからはニケって呼んで」は、照れ屋で献身的で、読者にも普通の読み方じゃわからない形でしかククリの愛を語っていないニケの、今までの大冒険なんかよりずっと勇気が必要かつ、切実で一番のワガママだったんじゃないかなって。「勇者じゃなくても、大好きなククリと一緒にいていい?」って。

ここで完全にグルグルが終わってたら、(すっげぇわかりにくいけど)最高のハッピーエンドだったと思うんだが……。幸か不幸か、2は始まってしまい、ククリはニケを恥ずかしさから勇者様としか呼べない状態が続いている事が判明してしまったのだよなあ。

もちろん2を描くため、「ニケ君ではなく勇者様」が必要だったっていうメタ的制作的事情はあったと思うんだけど……やっぱりここに関してだけは、ククリちゃんはただ一人愛する男に対して、絶対にやってはならない事をしちゃったんだと思う。

ククリちゃんが続編でも「勇者様」って呼び続けるから、実際は勇者の力なんかとっくに取り上げられてしまっているにもかかわらず、ニケは勇者様をやり続けなくちゃいけなくなった。

恥ずかしさに負けず、ニケ君、って呼んであげる事
が出来たなら、グルグル2では年頃になったら確実に結婚して夫婦になる、明確な彼氏と彼女としてラブラブ冒険が出来たと思う。

ここに関して、ニケか他のキャラが「ククリだってニケの事ニケ君って呼んでくれないじゃん、ククリだって悪い」って言える作品だったら、多分グルグル2は前作より長く続くこともなく、無印の補足として、もっとサクッと綺麗に閉じたんじゃないかな。或いはただのラブラブ恋人冒険か。

ただ悲しい事に、いっそ恐怖する事に、グルグルの世界は子どものころ可哀想な境遇にあったククリちゃんを幸せにするためだけに存在する世界であり、だからここでは被害者のニケも、大親友のジュジュも、そして世界を描く作者すらも、ククリちゃんに「お前も悪い」って言えない。

あと大前提として、カッコイイ事にある意味一番困った事に、おそらくニケはククリのためならまた勇者すること自体は全然苦じゃないという。お前……ホントにククリにホレすぎで大丈夫?一度もククリに怒った事ないしこれからも怒る気もなさそうな男ってのも困ったもんだな。流石にニケ君って呼んでくれない事だけは、怒ってワガママ言っていいのに……。そしたらククリちゃんだって頑張ったと思うのに、ニケってククリが大好き過ぎて、ククリのワガママを叶えてあげるのが存在理由で行動原理すぎて、そして多分それがニケにとっても幸せで、だからずっと、私がおばさんに差し掛かってもカップルになれていない。

だから運命的な仲良しコンビであるにも関わらず、このブログで散々わめいたように、前作からからずっと、ニケとククリって肝心なところで一生すれ違い続けてるんだよね。ハッピーエンドのアラハビカ編すら。



衛藤先生……もう賞賛として言うんだけど、衛藤先生がグルグル2終わった後漫画描き続けても、グルグルを越えるってのは多分無理だと思う。がじぇっともウサギテレビも先生なりにすごく気合い入れて作ったのはわかるけど、グルグルほど込み入ってて、例え誰に理解されなくたっていいくらい、作りたい恋物語を作り上げたっていう手ごたえ、衛藤先生にすらそもそもないんじゃないかな??私の思い込みだったら本当に申し訳ないんだけどさ。

20年も衛藤先生を担当してるらしい担当編集さんが、多分仕事上では一番の理解者で、仕事上ではおそらく一番間近でずっと衛藤先生の心を支え続けてきた一番の読者っぽいってのも、作家として最高の幸福かつ、ある意味不幸というか……。

グルグルという一種の芸術みたいな恋物語は、わからない人には本当になんとなくすら理解出来ないから、結果論として衛藤先生はやりたい事をやりながら、グルグルで大ヒット出来たわけだけど、担当編集に作り方を否定され捻じ曲げられ、グルグルが思った通りに作れなかった世界線って普通にあったと思う。素敵な担当さんでホント、良かったのか悪かったのか……。
2024/07/06(土) 23:46 グルグル考察 PERMALINK COM(0)